田中義一   たなか・よしかず

関西にプロ球団を作ることに憧れ、阪神電鉄に球団設立を働きかけた。球団創設時から球団設立に尽くす。
酒は飲めない甘党。人生を野球にささげた。野球人として球団運営の手腕は高かったが、口が上手な方ではなく経営者としては役不足な面もあったそうだ。1950年代口下手なことが災いして舵取りを失敗し大きな事件がおきるひとつの原因となった。
電鉄からは下林常務を派遣されたがそれもうまく使えず、結果的に藤村排斥事件の責任をとった形で取締役をしりぞいた。
戦前戦後の苦しい時期を熱意をもって乗り越えた実績があるだけに残念であった。


1904年生
出身地   大阪府
出身校   天王寺商業  関西大学

大学卒業後 回船問屋を閉じる
清宝バス株式会社(後に阪神バスが吸収合併)を設立し、専務取締役となる

35年 大阪野球クラブを設立し、常務取締役に就任
53年 2月29日 専務取締役就任
56年 11月15日 藤村排斥事件の責任で取締役降格
59年 2月28日 55歳で退団
61年 脳血栓で逝去


げんまつWEBタイガース歴史研究室