青森のタイガース遠征史


1941年の北海道遠征の帰路で、オープン戦ながら青森での初めてのタイガースの試合が開催された。遠征の帰路でチームを2つに分け、若林忠志率いるB班が沢村・川上らがいた巨人B班と試合を行った。試合は14時から行われ青森市体育協会の主催、東奥日報社が後援でした。

青森 1941.6.14  オープン戦  タイガース4−3巨人  


野球場は沖館青森球場でした。沖館の市営野球場は、現在の青森市新田2-3、東北森林管理局新田宿舎5号棟南東あたりにありました。合浦の青森中学の移転跡地に現在の青森市営球場が作られて廃止されました。航空写真は戦後の1948年のもので、球場跡地は空き地になっています。スタンド等を確認することは出来ません。その後営林局の宿舎になってから、現在は住宅地になっています。青函フェリーの乗り場の南側です。
1953年、北海道遠征に向かう往路で弘前にて国鉄スワローズと試合を行った。
青森県下で行った唯一のタイガース公式戦です。

弘前 1953.8.4 タイガース7−8国鉄
     ●藤村隆 ○田所   本塁打 徳網@ 白坂D

弘前市営野球場は1950年8月17日に弘前城内の弘前公園に造られた球場でプロ野球の試合を通算6試合行った。
1978年ごろに現在の弘前市民球場が出来たので廃止され、跡地は弘前城の公園になっている。弘前市立博物館が建っている場所がバックネット裏あたりとなる。
道路を挟んで弘前市役所だ。

航空写真
青森  1948年5月5日米軍撮影 青森新田 国土地理院アーカイブシステム
弘前  国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省  http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

参考文献:東奥日報 昭和16年6月13日朝刊 6月15日朝刊
取材協力:青森県立図書館

2006年12月制定
2008年1月改訂
2010年7月改訂

げんまつWEBタイガース歴史研究室