秋田市営茨島野球場跡


秋田市営茨島野球場(ばらじま)。
1932年から1939年まで全国中等学校優勝野球大会秋田県予選に使われた歴史ある野球場。

わがタイガースが一試合野球を行っており、オープン戦ながら茨島球場唯一の職業野球興行ではないかと思っている。
1939年6月29日 オープン戦 タイガース9−12ライオン


満州の工員を養成するために東京で計画されていた日満技術工養成所が急遽秋田に建設されることとなり、その場所に茨島球場を含む秋田市所有の運動公園が選ばれた。
1938年に秋田日満(にちまん)技術工養成所(茨島日満工業学校)が東側隣接地に建設された。1939年まで野球を行っているため、球場の場所は1939年夏までは確保されていたと考えられる。翌年に市営球場は新しく完成した八橋球場に移転、球場跡地も日満工業学校の拡張に当てられた。戦後は茨島に移転した秋田商業の茨島校舎(茨島分校の時代もあったようだ)となった。

現在、跡地の一部が秋田市営茨島体育館となっている。球場があったのは体育館からやや南側のハローワークとの間の場所ですが、そのどの位置なのかまでは正確には特定できていません。


制定:2012年5月20日

写真撮影:2010年7月21日
参考文書:
 阪神タイガース「昭和のあゆみ」
 「戦時下、技術員・技能者養成の諸局面(II)」隅部智雄・原正敏, 千葉大学教育学部研究紀要. 第2部 Vol.38 page.79-121
 「拝啓、ふるさと様。Vol.38」、 和田 武男、ほっとあいあきた(通巻430号) (1998)

げんまつWEBタイガース歴史研究室