衣笠球場を探して


1948年8月31日、立命館大学野球部の専用球場として開設。
場所は京都市。両翼89.9m、中堅110.1m

タイガースが最初に使用したのは大陽戦
49.4.5 阪神5−1大陽 ○藤村隆 

49年は大陽戦6試合 大映戦1試合
50年 松竹戦1試合 広島戦1試合
51年 松竹戦1試合 大洋戦1試合

この球場は本塁打が出やすく、合計11試合で藤村4、別当4、後藤4、安居2、土井垣1、白坂1、櫟1、金田1 合計18本もの本塁打が飛んだ。
51年、吉田義男が立命館大学の学生として太田嘉兵衛監督に指導さていたのもこの球場だ。

この球場は52年に松竹のフランチャイズとなった。48年1月20日の決定事項で大陽が京都、南海が大阪と仮のフランチャイズを割り当てられていた。大陽はこの後、大阪梅田の玉江橋に球場立地を検討したが、南海の大阪球場建設計画とぶつかりあって頓挫。49年1月に京都日日新聞と提携し、3月3日に京都をフランチャイズと登録。衣笠球場を本拠地としたわけだ。しかし、あまり客足も伸びず、この当時のフランチャイズは現在ほど球場を固定する意味はなかった事から、大阪球場で試合をおこなっていた。

立命館衣笠キャンパスに行ってみた。市バス立命館大学を下車すると、その周辺の電柱に「衣笠球場」と書いてある。山に囲まれていたと聞く衣笠球場のはここなのだと、納得した。

衣笠球場からプロが撤退し、京都の球場は西京極に統一された。


制定 : 2005年8月

参考文献:
 中野晴行著「球団消滅 幻の優勝チーム・ロビンスと田村駒治郎」筑摩書房
 阪神タイガース発行 阪神タイガース昭和のあゆみ

げんまつWEBタイガース歴史研究室