静岡県営草薙球場


静岡の草薙球場に行くにはJRからだと少し遠い。
草薙駅から1.5kmぐらいなので歩けないことはないし、乗り換えは草薙駅の方が近いのだけど、JR静岡駅から北に300mほど進んだところにある新静岡駅から静岡電鉄に乗ってみた。調べたらこの方が新幹線からなら断然はやいのだ。

新静岡駅までは梅田で阪神から阪急に乗り換えるぐらい遠い。商店街をヘコヘコ歩いて途中から地下街に入ったので、遠いとは思ったけど雨の日も傘がいらない。新静岡は静鉄のバスターミナルなどもあって、濃い街の中心という感じ。

1時間に10本ぐらい電車があるので便利なのだが、2両編成でワンマンカーだからローカルイメージはたっぷりだ。
6駅ほど先の「県総合運動場」まで150円。値段もお得だったりする。途中、高架で新幹線を越える頃に草薙球場が目に入る。

「東海道新幹線の車窓からはっきり見えるプロ野球一軍の試合がある球場は?」 といえば、昔はナゴヤ球場 と答えたものですが、今は草薙が唯一それにあたります。
球場前には投手と打者の像があります。

沢村栄治とベーブルース。
1934年の日米野球。
草薙で開催された11月20日の日米野球第10戦は沢村の好投によってわずか1失点で大リーグをしのぎ、0−1で負けはしたものの、初めて日本野球が大リーグと互角に戦った記念すべき試合でした。
日本野球史の中できわめて有名なこの試合により草薙球場の名は非常に有名です。
この日米野球には、後に阪急を経てタイガースに加わる堀尾文人も2番打者として名前を連ねていました。

当時の球場は1930年に建てられたもので老朽化により1971年に解体され、跡地に現在の草薙球場が建てられました。
タイガースは1939年3月15日、東京への遠征前に阪急と帯同してオープン戦を行ったのが最初と思われます。
この試合は延長11回裏、堀尾文人の二塁打と2四球で満塁となったところで伊賀上がサヨナラヒットを放った。

公式戦では1949年9月17日東急戦から旧球場時代は1951年国鉄戦、1954年国鉄戦、1955年大洋戦と4戦実施。

新球場になってからは1973〜78年で計8試合の他、1988年、1990年、1998年、2004年、2006年に各1試合行っています。
管理人は草薙に行ったことがなかったので2006年4月25日に初めて観に行ってきました。

記憶に残っている試合は1974年に田淵が1試合2本塁打を放った大洋戦、1978年に藤田平が2本と榊原・ラインバックが本塁打を打って打ち勝ったヤクルト戦。逆に多村に2本打たれて負けた2004年横浜戦。マルチ本塁打のある球場という感じなんですが、2006年の試合は浜中治が2本塁打打って大量得点で勝ちました。
ファールゾーンが小さくて中堅も115mしかないので、とても近くて見やすい球場だと思います。イメージは西京極。二階通路に売店があることなんかも西京極の感覚。座席は中央が禁断のオレンジ色の椅子席、内野席は青色の長いす席。外野は芝生席。これらは西京極より立派。

悲しいことに球場の周りはなにもお店がありません。運動公園と住宅ばかり。露店のビールと売店のビールのみが頼りでした。

静岡停車のひかりが1時間に1本ぐらいしかなく、それがゆえに関西からは遠征しにくい球場だと思います。新幹線に乗っている時間とお金の話を除けて考えると、正直ハマスタの方が気分的に楽ですね。基本的に今は横浜の主催試合ですから。

制定 2006年4月27日
(写真は4月26日撮影)

げんまつWEBタイガース歴史研究室