長崎のタイガース戦


  
三菱重工業のグラウンドは1921年11月に湿地帯を埋め立てて作られた。
現在、長崎駅前の三菱重工工場の川向にある。
この球場はいずれもオープン戦で使用され、公式戦は行われていない。

1937年7月31日 オープン戦
タイガース11−5名古屋   本塁打 広田2本 本堂

九州遠征オープン戦でタイガースが初めて使用したとされるが、実際には当時は現在の場所ではなかったかもしれない。もう少し北側の三菱の社宅の場所にあったとも言われている。
その後、1940年1月14日 南海戦もこの球場で行われている。この試合を見に行った知り合いがいるが、南海の強さに圧倒されこの日から南海ファンになり、いまだに南海ファンをやっている。

長崎市営球場
現在 ビッグNスタジアムがある場所に1951年4月3日に完成、長崎県内初の公式戦はここで行われた。
1951年5月17日
タイガース7−3大洋  勝 駒田  敗 片山   本 後藤次3号 谷田2号

1986年3月9日 オープン戦
タイガース6−4大洋  勝 仲田幸司

1986年5月10日
タイガース12−3ヤクルト  勝 池田   敗 高野  本 真弓4号

1990年5月13日 
タイガース5−12ヤクルト  敗 中込  勝 西村  本 田尾3号 八木7号 パリッシュ9号10号 中野1号
本塁打5本で5点の負け試合、しかもヤクルト時代の広沢に中込・福間が連続被弾する。

島原市民球場
次に長崎県内でタイガースが試合を行ったのは、島原市だ。
1952年10月18日  オープン戦
タイガース5−6西鉄 

この試合は西鉄と帯同しての岡山・高松・徳山・九州遠征の中の1試合だ。
真田投手の先発で始まった試合だったが、平和台に続いての2連敗。九州に入るとライオンズは強かった。

島原市営球場はこの後、西鉄ライオンズのキャンプ地として太平洋クラブになる間での間、使用されることになる。
だが、ライオンズが西武に売却されてからはすっかりプロ野球と縁遠くなっていた。
そんな中、2004年5月1日、およそ四半世紀ぶりにウエスタンリーグ ダイエーvsサーパスが島原にて開催され、息を吹き返したような印象を受けた。
島原の中心街からは西にやや離れた山腹にあります。

佐世保球場は光月町の現在体育館のある場所にありましたが、79年の長崎国体を機会に椎木町に移転しました。
1986年のオープン戦、佐世保長崎2連戦が開催された。
1986年 オープン戦
タイガース3−5大洋  敗 嶋田弟

1986年5月11日 は 今度は長崎佐世保の2連戦で公式戦が開催された。
タイガース5−3ヤクルト  勝 山本和  敗 梶間  佐野8号

その4年後にも再び公式戦が開催されている。
1990年5月12日
タイガース0−3ヤクルト 敗 中西  勝 川崎

1999年4月20日21日の2連戦はビッグNスタジアム、2005年9月13日にもビッグNスタジアムで試合があった。

航空写真   国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省  http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/
ビッグNスタジアム航空写真 国土地理院長崎県長崎市 平成18(2006)年撮影

改訂2008年2月

げんまつWEBタイガース歴史研究室