富山 野球めぐり


富山市で最初にタイガースの試合を行ったのは、富山のタイガース戦で述べたように1948年の神通(じんづう)球場での試合だった。

富山県営球場に向かう電車の沿線に跡地がある。丸の内を過ぎて神通川を渡る富山大橋に差し掛かったとき、右手に見える富山中部高校が神通球場の跡地にあたる。
神通川は三井鉱山からのカドミウム汚染で公害病が発生したことで有名な川ですが、現在は美しい大きな穏やかな川に見えます。もともと富山市内を蛇行して流れていた神通川は度々氾濫していたため明治時代にのようにまっすぐになるよう改修されたと言います。神通球場の場所はこの昔の蛇行していた川の跡地でした。

富山神通球場では1934年に日米野球が開催されている。読売新聞社社長の正力松太郎は富山県の出身だったため、本格的な球場とは言えなかった神通廃川地の神通グラウンドを板で囲っただけの神通球場に日米野球をつれてこれたのでした。この試合はベーブルースの大活躍で14−0の大差でアメリカが日本を破りました。

そのまま電車に乗り続けると富山大学に到着します。
市内電車の大学前を降りると、五福公園があります。
県営富山野球場は五福公園の中にあります。周辺には陸上競技場やサブグラウンドがある典型的な運動公園で、西側に連なる富山大学の木々と合わさり大きな公園に見えます。

1950年に完成したこの球場では1991年までの間にセリーグ65試合パリーグ14試合が行われました。
両翼は92Mと狭い気がするが中堅は122Mでアルペンスタジアムと変わらない。右中間左中間も十分に膨らんでいて東京ドームよりグラウンド面積だけなら広いと思える。1試合当たりの本塁打数は1.4本とアルペンスタジアムと変わらない。東京ドーム・神宮・広島・横浜が1試合当たり2本を越えているのだから、やはりグラウンドは広いのだ。
内野はコンクリート席、外野は芝生席。25000人収容となっているが、スタンド自体はそう大きくない。
アルペンスタジアムと比べても脚の便がよいため高校野球の県大会などでも多く使用されている。
富山市民球場アルペンスタジアム。
こちらは最寄り駅の東富山からも徒歩30分は必要。車がないと行きづらい球場だが、プロ野球の試合がある日は車が大渋滞すると言う。
両翼99.1M 中堅122Mの本格的な野球場で全面人工芝。収容人員は33000人。
1992年に完成してから毎年数試合のカードが組まれている。北陸地方では2007年現在最もすばらしい球場でオールスターが開催されたこともある。
この球場が7月1日に開場となり最初のプロ野球試合は7月4日の広島−阪神戦だった。広島の小早川が葛西から本塁打を打ったのが第一号。川口からパチョレックが本塁打を打ったのが第二号。弓長から正田が打ったのが第3号。翌日、片瀬からオマリーが打ったのが第4号です。したがって、アルペンスタジアムの記念すべき第一被本塁打投手は葛西投手と言うことになります。
また第一盗塁は7月5日の亀山選手。第一失策が7月5日の山田捕手です。
東富山駅方面(駅からは見えない)からアルペンスタジアムを眺めると、背景に立山連邦の雄大な山々が連なり、まさにアルペンスタジアムという眺めです。例年、この球場でのプロ野球はナイターで行われますのでテレビ中継でもこの山脈を見ることは出来ませんが、まさに富山ならではの光景が広がります。
富山は美しい。

球場の周りはところどころ建物がありますが、このように遠くから見渡しても何もない。
やっぱり不便な場所にある気がします。

げんまつWEBタイガース歴史研究室