思い出の 西宮球場

阪急のホームグラウンドとして、その歴史は長い西宮スタジアム。その外観はいかにも阪急らしい洗練された白い城といったところ。
球場の少なかった1リーグ時代など古い時代には阪神の主催試合も多かったと聞くが、私は阪急撤退後の夏のロード期間中に西宮でタイガースの主催試合があるのが楽しみであった。阪急沿線に住んでいた時なので、甲子園よりも通いやすかったのです。阪急がいた時は南側にあった第二球場にもよく行きました。


名称:阪急西宮スタジアム (阪急西宮球場)

所在地:兵庫県西宮市高松町 阪急西宮北口駅徒歩3分

阪急ブレーブスのホームグラウンド オリックスに身売りされてからも1年間のブレーブス時代はホームグランドとして使用していた。

36年、阪急球団は宝塚運動場で発足したが、その年の暮れに西宮球場を着工し、37年5月1日竣工した。
リグレィ・フィールドにならった美しい球場で観客席は見やすいように二重層式を採用、施工は甲子園が大林組だったのに対して竹中工務店だった。
竣工した5月1日はオープン記念の招待試合で 浪華商−滝川中/興国商−甲陽中 関西の中等学校野球の好カード2カードが組まれ15000人が入場した。5月3日には 早稲田大−神戸商科大/慶應大−関西大 という大学東西対抗のカードで25000人が集まった。蛇足だが職業野球の西宮での初めての開催は5月5日〜9日までで延べ29100人だったというから、やはり大学野球の人気は高かったと言う事か。

すでに西宮市内には甲子園球場が存在していただけに、着工を疑問視する声も多かった。この美しい球場を着工した事は当時小林一三氏の英断と賞されたようだが、60年経った今、考えてみると当時の疑問が的中したような気もする。
沿線の豊中、宝塚、あるいは神戸市内であれば阪急の人気も違っていたであろう。

収容人員は40000人 スタンドはコンパクトな印象ながら、甲子園より数段きれい。

阪急がいた頃は1リーグ時代の公式戦、阪神阪急定期戦などにこの球場が使われました。
ブレーブス撤退後、タイガースは夏の高校野球開催時に毎年2日間、主催試合で使用していました。大阪ドームが完成するまでの間ですから、96年8月の阪神−広島戦が最後の試合だった。

江夏豊がオールスター9連続奪三振を記録した時の球場でもある(71年7月17日)


野球がなくなってから 競輪 アメフトなどに使用していたのですが、03年から競輪が撤退するのを受けて廃止となる。

02年11月15日「ABCラジオ祭り」が西宮球場で開催された。司会の道上洋三らとともに福本豊氏が出演され、最後の出し物として「阪急ブレーブスの歌」を熱唱された。目頭が熱くなる思いをしながら聞き入ってしまった。

西宮ガーデンズ


制定:2002年11月15日

げんまつWEBタイガース歴史研究室