タイガース戦力補充推移分析

タイガースの戦力の補充状況を手法毎に分類してみる。

人数計 1リーグ 50年代 60年代 70年代 80年代 90年代 00年代
T.新人小計(@+A) 567 96 133 78 85 77 63 43
@ドラフト 202 0 0 18 46 55 57 34
Aドラフト外 *1 365 96 133 60 39 22 6 9
U.トレード(B+C) 120 0 3 17 31 23 26 20
B交換トレード 77 0 1 9 20 15 15 17
C交換なし *2 43 0 2 8 11 8 11 3
V.自由移籍(D+E+F) 76 7 5 6 8 7 26 17
DFA 5 0 0 0 0 0 2 3
E契約切れ *3 21 7 3 2 3 1 3 2
F自由契約 *4 50 0 2 4 5 6 21 12
G.新外人 64 0 2 7 5 13 20 17
合計(T+U+V+G) 827 103 143 108 129 120 135 97

*1 ドラフトを通らなかった新人選手 逆指名ドラフト・03年以降の自由枠含む プロ経験なき外国人含む
*2 有償・無償トレード、球団編成部主導で行き先を決めた場合
*3 1リーグ時代など事実上保有権なき時代、契約期間満了となった外国人、メジャー帰国後の選手など
*4 90年代の打撃投手で採用して現役復帰させた大石投手の例を含む

グラフに整理してみる。

1936年から1964年までの間、戦力の補強は Aドラフト以外 での新人選手の獲得に頼っていた。
1965年にドラフトが始まると、新人選手の入団の比率が @ドラフトAドラフト外を合計しても以前より大きく下回る事になった。65年から69年の5年間には約30人(6人/年)しか新人を補充できなかったのです。そもそも人気チームのタイガースは新人戦力を容易に確保でき、能力のないものは次々と切り捨てる形態をとっていたのだが、各球団に公平に戦力を与えられるようになったドラフト以降 うまく新人を集められなくなった。もともと、簡単に戦力を確保できていた球団だから、育成やトレードのノウハウもなかった。
タイガースは1964年以降20年も優勝から遠ざかるわけだが、65年から70年にかけての落ち込みに起因すると思われる。すなわち、この5年間の新人補強が十分でなかった為に、75年から80年に成長しているはずの中堅選手が不足し B交換トレード の比率が大幅に上がった。この5年で、交換トレードされた人数は、新人採用した人数の50%近い数字となりました。以降は新人の育成がうまく行かない分、交換トレードを繰り返す毎に交換要員数も尽きて F自由契約選手 G外国人選手 の補充の比率が上がったのでした。当然の事ながら、交換トレードで選られるよりも質の低い戦力となりますが、トレードに出す戦力もないための苦肉の策だったと言えましょう。
95年から99年の間の極端に採用数が少ない歪な状況は00年以降の5年間で改善されていますが、急激なチーム改革に伴って75年からの5年と同様に交換トレード人員数が新人数のほぼ半分と、75年頃と同様の状況になっている事はあまりいい状況とは言えません。ただ、全体野採用数を増加させる事により、新人の確保枠を減らさなかった事はよい傾向です。過去と同様の事態を繰り返さない為には、新人の育成による底上げが大切でしょう。

移籍選手の出身球団別比較は以下のようになります。

交換・交換なしの両球団合意のトレードは、オリックス(阪急)、ダイエー(南海)、西武(西鉄・太平洋・クラウン)の順に多い。オリックス・ダイエーは1リーグ時代から関西球団として、また鉄道会社同士として深い付き合いがあった。関西圏同士で選手を動かしやすいメリットもあった。近鉄は読売寄りのトレードが多い為、同じ関西圏でも若干人数が落ちるが、ここ数年は伸びつつある。ダイエーは南海色が薄まるに連れてトレードでは疎遠になっています。
交換トレードの人数ではロッテ・西武が目を引く。元ロッテチーフスカウトで元クラウン球団代表の青木一三は元タイガーススカウト。彼の動きによって活発なトレードが開拓され、現在まで財産となっています。日本ハムを含めたパ・リーグ6球団が多いのは当然の傾向でしょう。
中日は元中日の契約切れ外人、テーラー・コールズ・パウエルなどもカウントされています。この他のセントラル球団とはあまり活発に交流がありません。特に広島相手は球団同士の正規のトレードは 若生−安仁屋の交換だけです。

ここ数年の傾向では、近鉄からの交換トレードが大きく数字を伸ばしています。近隣球団の近鉄が読売向きの姿勢を改めて、よき交換相手として成長している事は喜ばしい事です。かつてのトレード相手だったダイエーは大きく落ち込み、関東方面の球団相手へとシフトしています。

げんまつWEBタイガース歴史研究室