川西勇治   かわにし・ゆうじ

関西大学時代は1年からエース、4年生では主将をつとめ、関大を久しぶりにリーグ優勝させた。元々は速球派で球が重かったようだが、プロでは超緩急投手と評価されていた。大学4年で肩を痛めた影響かもしれない。関西大学野球部史には戦後すぐのエースとして多数の写真が掲載されている。


1924.4.29生
出身地  大阪府
出身校  鳳中学 関西大学
投手 右投右打

45年 関西大学野球部入部
46年 復活した関西六大学リーグで秋季リーグはほとんど一人で投げぬいたが、打線が非力で勝てず。
49年 春季は肩を壊して当番できず、秋季はエースとして活躍。関大をリーグ優勝に導く。第3回全日本大学野球決定戦1回戦でも慶大を1失点完投で勝利投手。
50年 2月、大阪タイガースに25歳で入団

50年 大阪タイガース 背番号25    12月23日 タイガースから解雇発表 日鉄二瀬へ

52年 産別に 全東洋高圧から出場

05年 9月24日 癌のため逝去

実働なし


出身情報はALEXさんの情報による ご家族の方からもメールいただきました。

げんまつWEBタイガース歴史研究室