河内忠吾    かわち・ただみち

東都大学リーグ史上初の完全試合達成。
内角のシュート、外角へのドロップ、やまの見極めにくいドロップを織り交ぜた技巧派投手。
入団後は酷使した肩よりも、軽量級ながらしぶといバッティングをする事が評価される。プロでは活躍できなかったが、後に日大監督に。


1930.12.24
出身地  栃木県小山市仲町
出身校  小山高校 日本大学
ノンプロ  熊谷組
投手→三塁手 右投右打

早大進学を希望したが、日大・香椎監督の説得に応じて日大へ進学
53年 日本大学で4年秋季 完全試合達成

54年〜55年 熊谷組では素直な巧打ぶりを評価された 55年はニッポンビール補強選手として都市対抗に出場
56年 1月9日 大阪タイガースに入団

56年 大阪タイガース 背番号3 投手→野手転向 1試合 .000
57年 三塁手転向 2試合 .000

65年 荏原高校監督で選抜甲子園出場
65年秋〜77年春 日本大学監督 東都大学リーグ優勝4回

実動2年 試合出場3 打数3 安打0 三振2 打率.000


げんまつWEBタイガース歴史研究室