森田忠勇   もりた・ちゅうゆう

阪神初代二軍監督
大阪の古豪・市岡中学、西の雄・関大野球部と関西アマチュア野球の中枢で活躍し、関西球界に太いパイプを持つ。 49年オフ、大量引き抜きにあったタイガースは森田監督の下17人の若手選手を集めて二軍を結成した。 森田監督が直接勧誘した者と、2月に実施した入団テストに合格した者が出そろった。
1歳年下の阪急球団理事・村上實は小学校時代の幼馴染み。


1905.8.10生
出身地  兵庫県
出身校  市岡中学 関西大学
内野手・二軍監督

21年 選抜甲子園出場 二番サード
22年 選抜甲子園出場 一番サード

23年 関西大学野球部入部 投手として活躍

  関大卒業後に阪神電車に入社
   夏の中学野球大会委員を勤めた

  阪神電車退社して創業間もなかった阪根金属商工に入社

45年 戦後 私財を投じて関西大学野球部の復興に尽力
46年 関西六大学野球の復興に資力 関大監督

50年 大阪タイガース 二軍監督就任 背番号31
51年 二軍監督
52年 二軍監督

退団後、セ・リーグ公式記録員となった

選手として実働なし


げんまつWEBタイガース歴史研究室