岡田功   おかだ・いさお

二軍では4番を打ったのだが、大きな飛躍は出来なかった。後にセ・リーグ審判部長。
「バッキー・荒川事件」や「柴田島野事件」など、とにかく阪神戦でトラブルに会う事が多い審判員だった。


1931.6.20生
出身地  兵庫県伊丹市一ツ橋町
出身校  兵庫県立尼崎工業高校
外野手(ライト) 右投右打

49年 高校野球兵庫大会決勝に進み芦屋高校に敗戦  4番打者だった
50年 2月大阪タイガース入団テストを受験し合格

50年 大阪タイガース 背番号48 登録なし
51年 登録なし
52年 背番号46に変更 野手登録 4試合 3打数 .000
53年 出場なし
54年 背番号27に変更 6試合 5打数1安打 .200 (新日本リーグ ジャガースで4番を打った)
55年 31試合 13打数 .000   引退

56年 アルバイトで阪神の練習参加
  同年 セ・リーグ審判に合格
  68年 バッキー荒川事件の時の球審
80年〜86年 セ・リーグ審判副部長
  82年8月31日 柴田島野コーチの暴行を受ける
  88年6月28日3500試合出場
  91年8月7日3776試合出場の史上最高記録に並ぶ

CALPISこどもの日野球教室講師(03年・東京、04〜05年神奈川、06年・長野、07年・神奈川)

実働3年 出場41試合 打数21 安打1 打点1 盗塁2 打率.048


げんまつWEBタイガース歴史研究室