デイリースポーツ昭和54年11月28日
最高に幸せ 阪神岡田 岡田は阪神、木田は日本ハム 今年度のプロ野球ドラフト会議は27日午前11時から東京・九段のホテル・グランドパレスでセ・パ両リーグに球団の監督、代表らが集まって行われた。1位指名は最大の目玉商品と言われた岡田彰布内野手(早大)を、西武、ヤクルト、南海、阪神、阪急、近鉄の6球団、木田勇投手(日本鋼管)を巨人、日本ハム、大洋の3球団がそれぞれ指名したが、抽選の結果、阪神が岡田を、昨年の江川卓(巨人に移籍)に次いで2年連続大物を射止めた。逆に木田は恋人大洋に2年連続すっぽかしを食った形で、日本ハムにきまった。 巨人・江川卓投手 阪神ですか。そうですか。彼はリストが強いバッターでまっすぐに強いですね。そのうえ内角球は引っ張り、外角球はうまく右に持っていく技術も持っていますからね。投手としては投げづらいバッターですよ。大学時代もよく打たれましたし、プロで対決しても打たれるんじゃないですか。 |
月刊タイガース昭和55年1月号から
岡田彰布内野手の阪神入りが決まった。 12月15日、午前11時。大阪北のホテル阪神パールの間で小津球団社長が立会いで岡田選手の入団発表になり、今シーズンのドラフトで最大の話題であった岡田選手は晴れて阪神の一員となった。同選手の背番号は本人の希望を入れて「16」 これはかっての名三塁手、三宅秀史の現役時代の背番号である。 岡田選手の阪神入り すばらしいドラマは11月27日に行われたドラフト会議で幕を開けた。昨年、江川投手(巨人)をひきあてた岡崎代表が病気療養中のため、かわって出席した河崎球団取締役が運命のクジをひきあてた。 「箱の中にいれて、真っ先に触れた紙を迷わず選んだ」という河崎取締役。これが阪急をはじめ5球団をさしおいて、阪神にきまる貴重な紙片であった。 阪神と同様、岡田選手もたいへんな強運の持ち主。幼い頃から阪神にあこがれ、一家をあげてのタイガースファン。ドラフト会議前から「阪神に選んで欲しい」と、事あるごとに語っていた。それがピシャリきまったものだ。「あまりにも願いどうりにいって信じられないくらいです」と岡田選手が、阪神から指名を受けたあとに語ったのもムリのないことだろう。 こういう背景があったから、岡田家と球団側の交渉も、まことになごやかムード。大づめの12月12日、西下した岡田選手をまじえ、父親勇郎さん(49)=紙工業 母親サカヨさん(42)を小林チーフスカウトが、大阪市東区玉造の実家にたずねて、話し合ったが、わずか15分で入団にこぎつけた。 ことし最大の大物新人の入団交渉にしては、まことにアッ気なく、そしてまれにみるさわやかな雰囲気であった。 |
早稲田の岡田が阪神に入団する。 月刊タイガース2月号では、レオポンと岡田 阪神のスーパースターツーショットで表紙を飾った。 これは当時一番のニュースだった。前年、江川をドラフトで引き当てたものの結局巨人にトレードした。阪神ファンにとって田淵以来久々にドラフトでスーパースターを指名できたのだ。巨人は翌年の原を狙っていたのでこの年は投手補強の方針で参戦しなかったものの6球団の競合だった。同期には浪商の牛島−香川が有名だ。大学通産は打率.369、当時絶対に破られることはないと言われていた谷沢の.360を上回った。 この年の阪神の新人獲得はすさまじかった。田丸スカウトがマークしたドラフト1位の岡田に加え、3位では都市対抗で大活躍した北村を小林チーフスカウトが囲い込んだ。社会人ナンバーワンといわれたプロ拒否の大町を渡辺スカウトがドラフト外で獲得。左腕藤原は今成スカウトが囲い込みドラフト外、田丸スカウトの秘蔵・藤倉内野手もドラフト外だった。小津の魔法使いの本領発揮と言ったところ。 早稲田大学では三塁手だった岡田は掛布がいるために入団時から外野コンバートがささやかれてはいた。フタをあけると外野どころか控えでのスタート。二塁にまったくダメな移籍外人ヒルトンをブレイザー監督が起用したため、阪神ファンが岡田を使えと暴動を起こしたほどだった。 結局、ブレイザー監督とヒルトンは途中退団する。そして監督代行に就任したのが岡田が打撃の師と仰ぐ中西太氏だった。 岡田彰布と今岡誠は似ている。 内角に強く、外角を右に打てると言う打撃のタイプだけでなく、その運命が似ている。どちらもB型監督の下で伸び悩み、O型監督の下で花開いた。好き嫌いがはっきりしている天才打者だろう。掛布の後ろを打ってこその岡田、金本の後ろを打ってこその今岡。そういう感じがします。 |