野球はわからないと言いながら、毎日スポーツ全紙に目を通す。長年にわたりオーナーを勤める球界の名物会長。
見事な手腕で阪神タイガースを商売として儲かる企業に成長させた。
最後は一場問題にて辞任となったが、阪神タイガースを最長させた大功労者であった。
1921.1.6生
出身地 高知県高知市(神戸市生)
出身校 東京帝国大学法学部
44年 東大卒
46年 5月阪神電鉄入社
67年 2月社長室部長 11月経理室部長
73年 2月社長室関連事業部長 兼 監査部長 11月阪神電鉄取締役就任
74年 5月社長室長
75年 5月常務取締役
78年 6月専務取締役
79年 6月副社長
80年 運輸大臣表彰
82年 6月阪神電鉄株式会社代表取締役社長
84年 10月23日阪神タイガース取締役会長に就任
85年 オーナー就任1年目に優勝
88年 「掛布はもうミスタータイガースではない」との厳しい発言をされた
92年 阪神電鉄取締役会会長就任
98年 三顧の礼をもって野村克也を監督に迎え入れる
01年 星野仙一に監督就任をお願いに行く
04年 6月 阪神電鉄取締役相談役 10月一場問題にて引責辞任