球団が低迷が続くタイガース改善の切り札として投入した野球通。
タイガーデンを作るなど土台作りのためのハード面を充実させ、編成担当として西武から和田博美を獲得し、高校生を中心に採用する西武方式の育成を考案した。当面の戦力は外国人とトレードでベテランを獲得し、育てる事を中心とする方針を立てた。
しかし、松井が取れなかった事、新庄人気などから高卒若手選手の予期せぬアイドル化が進んだ事、本来土台となるべき高校生がうまく成長できなかった事で逆に戦力を低下させ、大型トレードでファンの批判を浴びた。
吉田義男監督と同世代で気が会うため、結局最後は吉田監督頼みとなってしまったような形になっているが、外部からの悪い風習を断ち切り、監督人事・任期をあくまでも球団主導で決定した事もタイガースとしては大きな改革であった。
長い目で見れば三好社長時代の改革路線が21世紀に徐々に効果を見せてきていると言ってもよいのだ。
1930年生
出身校 神戸大学
在学中は野球部
神戸大 4年生の時に吉田義男が立命館大に入学。顔を合わす事があったそうだ。
卒業後、すぐに阪神電鉄株式会社に入社
85年 10月21日 阪神タイガース取締役に就任
90年 阪神電鉄専務取締役就任 10月8日球団社長代行に就任 ダイエーとの大型トレードにGOサイン
90年 12月阪神タイガース代表取締役社長に就任 中村政権による長期視野に立つ改善計画を立案
92年 ラッキーゾーンの撤去 亀新フィーバー
94年 タイガーデン竣工
95年 阪神大震災 中村監督途中休養
96年 藤田監督解任 吉田義男氏に3度目の監督就任を要請 現場上がりの横溝・西山両氏を取締役に抜擢
98年 某投手脱税事件発覚・監督の泉井被告からの1000万円の受領など金銭不祥事が明るみに
10月7日成績不振から社長辞任