第4代 オーナー
野田忠二郎   のだ・ちゅうじろう

「和をモットーに」を掲げて、吉田新監督でスタートした77年シーズンからオーナーに就任。
技術畑で電鉄社長となって初めてタイガースに関与し、どちらかというと野球については詳しいほうではない。電鉄では大型車両化やジェットカーの開発に従事した。
田中隆三取締役が事実上、オーナー代行として動いていた。記録の中では吉田監督・後藤監督の就任会見での新聞報道に写真が残っている。


1908年4月1日生
出身地   大阪府大阪市南区
出身校   京都帝国大学工学部 電気工学科

30年 京大卒

30年 4月阪神電鉄に入社
46年 車輌部長
48年 経営企画室長
51年 企画監査役
52年 阪神電鉄取締役就任 企画監査役・技師長
57年 阪神電鉄常務取締役就任
65年 専務取締役就任
67年 11月 福西社長急逝により、阪神電鉄取締役副社長就任
68年 1月 阪神電鉄社長に就任  3月5日 阪神タイガース取締役に就任(〜74.10.25まで)
74年 10月25日 阪神タイガース取締役会長に就任(オーナー)
78年 阪神電鉄会長に就任
79年 3月 タイガースオーナー退任
80年 6月相談役

92年 11月10日 死去


げんまつWEBタイガース歴史研究室