第3代 オーナー
野田誠三   のだ・せいぞう

甲子園球場の設計担当であった事が何よりも有名。姫路のボンボンで西宮の「本野田酒造」に婿養子で入籍、野田姓となった。雄弁で読書家、博学ぶりで若くして阪神電鉄の社長に就任、戦争の被害が大きかった阪神電鉄をよみがえらせた電鉄史に残る功労者である。2リーグ分裂の際には、事業部長以下全球団職員を集め「阪神は巨人と行動を共にする。このため、別のリーグから、さまざまな妨害があるかもしれない。仮にそのような事態になっても、諸君は、動揺せず隠忍自重していただきたい」と宣言し、これを境にプロ野球と真剣に取り組んでいったのだ。タイガースのオーナーも23年の長期にわたり勤めた。


1895年2月11日生
出身地  兵庫県加西市
出身校  姫路中学(現 姫路西高) 第八高等学校(現 名古屋大学) 京都帝国大学工学部

22年 阪神電鉄に入社
24年 甲子園球場の建設に設計主任として携わる
27年 土地課長
32年 庶務課長
34年 土地課長
40年 土地部長
41年 阪神電鉄取締役に就任
43年 施設部長
44年 2月28日 大阪野球倶楽部取締役に就任(〜47.2.28まで)
45年 電鉄 不動産部長兼事業部長
46年 運輸部長
48年〜49年も電鉄本社事業担当役員としてタイガースに関与
50年 7月21日 大阪野球倶楽部取締役に就任(〜52.2.29まで)
51年 阪神電鉄社長に就任(〜68年まで)
52年 2月29日 大阪野球倶楽部取締役会長に就任(オーナー  〜74年10月25日まで)
68年 阪神電鉄取締役会会長に就任
72年 11月に電鉄会長職を辞任(病気療養のため)  勲二等瑞宝章受章
74年 10月25日 阪神タイガース取締役相談役(〜78年まで)  12月 野球殿堂入り

78年 3月28日 急性心不全で死去


げんまつWEBタイガース歴史研究室