阪神電鉄入社後は事業畑ひとすじ、球団出向となる以前から電鉄本社で経理面を担当し赤字の球団をなんとか運営していた。球団を事業として軌道に乗せることにとりくむ。岡崎を起用しフロント改革を行い総務・経理・業務・企画・資料の各部室と球団の運営を行う統括本部を設けた。これにより、借金球団が徐々に力をつけ阪神電鉄グループの中でも業績トップクラスに変貌した。野球部ではなかったが熱烈な阪神ファンであるという。
江夏を放出したりドラフト戦略でも失敗したりと、ファンからの人気は低いが、確かに球団事業は改善されていった。
1913年生
出身地 大阪府
出身校 早稲田大学
早稲田では陸上部
26年 阪神電鉄入社
東京事業所長
大阪事業部長
65年 大阪事業部長 ならびに阪神タイガース取締役に就任 主に事業を担当する
69年 3月5日 阪神タイガース常務取締役に就任
74年 10月25日 阪神タイガース取締役社長に就任
78年 10月11日 成績不振を受けて社長辞任