野球の知識に長け、歴代オーナーの中でも屈指の野球好き。1985年の優勝の功労者の一人といえる。
77年オフの吉田監督の退団申し出に対し、「惜しい人材を失う」と遺留に全力を尽くした。84年、自らの進退と引き換えに吉田を男にするため再び監督に招聘した。
オーナー代行時代を含めると10年間に渡り球団のトップに君臨。その間の戦力強化が85年の優勝に実を結んだのが。
1908年生
出身地 香川県三豊郡
出身校 三豊中学(現 観音寺一高) 第六高等学校(現 岡山大学) 京都帝国大学法学部
三豊中学では野球部のマネージャーを勤めた
33年 京都帝国大学卒業
33年 4月阪神電鉄に入社
46年 運輸部長
48年 運輸局長
51年 12月運輸支配人
52年 5月取締役 運輸支配人
57年 常務取締役
65年 専務取締役
68年 3月5日 阪神タイガース取締役に就任(〜79年まで)
73年 電鉄副社長
78年 阪神電鉄社長に就任(〜82年まで)
79年 2月26日 阪神タイガース取締役会長(オーナー 〜84年10月23日まで)
82年 阪神電鉄取締役会会長に就任
83年 勲二等瑞宝章受章
85年 10月21日 阪神タイガース取締役名誉会長(〜89年まで)
89年 3月3日 死去