第3代球団代表 初代球団社長でもある。野球とは無縁の世界から球団代表に就任。遠征であっても選手とともに行動するなど、その人柄と行動力で野球を知らないハンディを乗り越えた。藤村排斥事件を見事におさめ、以後長期にわたり在職した名物社長。2回の優勝は戸沢の力も大きい。
外部からの藤本監督の招聘、山内・小山のトレードなど戦力の強化、合宿施設の更新、安芸タイガータウンの建設、給与面の大幅な改善など、近代チームに改革した功績は極めて大きい。
1907年生
出身地 兵庫県
出身校 神戸二中 神戸高等商業(現 神戸大)
29年 阪神電鉄に入社
事業部→役員付秘書→厚生部長
東京出張所長 兼 阪神航空営業部長
56年 11月16日球団出向 専務取締役就任 早速藤村排斥事件の解決に取り組む
58年 田宮謙治郎移籍事件は残留工作に失敗
60年 5月28日 取締役社長
63年 球団初の海外キャンプ 渡米チームの団長となる
65年 安芸のタイガータウン竣工
74年 10月25日社長解任
阪神カントリークラブ理事