アリゾナ州 テンピ球場


1980年と81年、アリゾナ州テンピにて実に17年ぶりに海外キャンプを行った。80年2月11日に大阪伊丹空港を発ち、3月15日に帰国した。

テンピは1年中雨量が極めて少なく、そのために排水設備などない場所だが、どういうわけかタイガースキャンプ期間に歴史的な大雨が降った。「合衆国建国以来、それまで例を見ない雨量」で、地元ではタイガースが雨を運んできたと言われた。

雨による1週間のロスもあったが、その後は晴れてアリゾナらしい厳しい日差しが照りつけた。

翌81年は2月12日から3月15日までの日程。
この当時はヤクルトがユマでキャンプを張ったり、読売がフロリダでキャンプを張るなど海外ブームだった。タイガースとヤクルトは米国で互いのキャンプ地を訪問してオープン戦を行った。
このページの写真は月刊タイガース80年4月号より転載しています。

80番のブレイザー監督ら懐かしい顔ぶれが写っています。
選手の写真は誰も彼も真っ黒に日焼けして、テンピの日差しの強さがよくわかります。青い空、緑の芝生、見るからに熱そうです。

このキャンプで最も忙しかったのは英語が堪能な三宅通訳でした。現地ではマネージャーのように働いたそうです。アリゾナキャンプ中に入団したのがヒルトン選手、ヒルトンの家はこのキャンプ地の隣町だそうです。

参考文献:月刊タイガース1980年4月号

2003年10月制定

げんまつWEBタイガース歴史研究室