別府市営球場


大阪タイガースの球団創立1年目の7月、巨人と帯同して春日原、大分、別府、小倉到津(2試合)、広島の6試合の遠征を戦っている。[1][2]

1936年7月24日 別府市営球場 (23日雨天順延)
タイガース4−2巨人  ○古川→菊矢  ●青柴

別府は戦後1948年に別府植良組に藤村隆男選手が在籍した事、49年の都市対抗野球で活躍して一度はタイガースと入団契約したものの入団しなかった荒巻淳投手[2]がいた星野組など、阪神とは社会人野球関連で交わる点がいくつかある。このころに星野組と植良組で対抗戦を行っていたのが別府市営球場。

別府の野球場は1931年に竣工し、最大時で10000人収容。2001年に閉鎖解体され、跡地は体育館(べっぷアリーナ)になっているそうです。

別府駅青山町までから徒歩15分程度、立派な体育館でした。


右手奥に旧別府球場の記念碑をみつけました。




[1]阪神タイガース昭和のあゆみ
[2]大阪タイガース球団史、松木謙治郎著

2015年6月13日制定

げんまつWEBタイガース歴史研究室