なつかしの藤井寺球場


藤井寺市春日丘3−1−1

1928年5月25日に完成した古い野球場。1943年には甲子園と同様に鉄傘を供出した歴史がある。正面の重厚なヨーロピアン調の造りは球団新設時から変わっていない。
近鉄パールズが発足した1950年、プロ野球の興行に対応するために外野スタンド等を整備した。1953年にラッキーゾーンを設置。1973年に大改修されナイター工事が始められたが周辺住民からナイター施設反対の住民運動が起こり、結局1984年になってからナイター設備を設置。1985年には人工芝を敷設した。
両翼97.6m センター120m 観客32000人収容可能。ライトスタンドの裏には近鉄球団の合宿所が設置されていた。
近鉄バファローズの本拠地として半世紀使用され、大阪ドームにその役目を譲ってからも、二軍の本拠地として使用された。
とは言え、長い間ナイター設備がなかったので、結局平日のナイターは大阪球場や森之宮の日生球場を準フランチャイズとしていた。

二軍戦やオープン戦で頻繁に使われた球場だが、一軍公式戦でタイガースが使用した事も3回ある。
 1946年 
  4月30日 パシフィック戦 
  5月 3日 巨人戦 
  5月 6日 ゴールドリング戦
甲子園が進駐軍に占拠されていた事がその一番の理由と思われる。
2005年2月、近鉄球団の消滅にあわせて球場の廃止が決まり、最後の練習が行われ、解体された。上の2枚の写真は最後の練習に行ったnakano10さんが撮影したものです。

2006年11月の状況は写真のとおり。
近鉄の線路からは塀があって見えないが、一面に広い整地が広がる。
この敷地は四天王寺学園の所有地となっていて、今後学校が建設されるのだろう。
球場の痕跡は一番上の写真の位置、正門のあった辺りの電信柱数本に残されている「キュウジョウマエ」の文字。衣笠球場と似たパターンなので、将来に渡って残るかもしれません。

ライトスタンド側は人工的な土盛が残っていますが、これぞ球場とわかるような痕跡はすでに残っていません。
合宿所も何もかも、すっきりとなくなりました。

写真撮影 05年2月 nakano10さん提供(上2枚)

制定 : 2005年2月
改訂 : 2006年11月

げんまつWEBタイガース歴史研究室