福井のタイガース遠征史


福井市野球場は福井駅に近く市内の真ん中にある。
福井でのタイガース戦は野球場の完成に合わせて1948年7月に予定されていたが福井地震で中止になった。地震で工事が遅れたためか1948年10月15日に福井市野球場が完成した。
そこで中止になった試合の代替という意味合いだろうか、ペナントレースの真ん中で福井にてオープン戦を行っている。詳細はわからないがすごく乱打戦だ。
 1948年11月4日  タイガース12−21南海   

公式戦
 1953年4月28日 タイガース5−2国鉄 勝 真田  敗 大脇
             本塁打 藤村
この試合、藤村富美男は国鉄・大脇照夫から満塁本塁打を放ち、翌日の金沢でも国鉄・井上佳明から満塁本塁打を放った。始めてプロ野球で2試合連続満塁本塁打が記録された。
この球場では1956年5月5日にも公式戦があり、国鉄戦だった。三宅秀が金田から本塁打を放ったが5−6で敗れた。

この球場はアクセスがよいながらも、わずか4000人しか収容できないスタンドの狭さがネックだった。 両翼91m、中堅110m さらに外野スタンドがないので非常に小さく感じる。

1967年の福井国体にあわせて福井県営球場が建設された。両翼100m、中堅122mとこの時期の球場にしては非常に広い

タイガースが最初にこの球場を使用したのは1972年5月13日。
 タイガース4−7中日  敗 古沢  勝 松本   本 田淵
先発・上田二朗が崩れ、村山・古沢・山本重とつないだ試合。
この年、3年目を迎えた村山監督は投手陣の不調から開幕から8戦戦って2勝6敗と不本意な成績となり、投手として専念すべく金田ヘッドコーチに指揮権を預けた。
金田が指揮をとる間、江夏の踏ん張りもあって5月11日までに勝率が5割にもどったため、金田が一旦指揮権を返上するように戸沢代表に申し出た日が、この5月13日だった。だがこの試合を負けたこともあり、戸沢代表は金田に引き続き指揮をとるように指示。そのまま村山解任への流れにつながる転機の日だった。

以下、試合を開催した日
78年5月18日、80年6月12日、83年4月23日、84年5月8日、85年4月20日、89年5月23日、92年5月14日
93年5月20日、95年5月31日、96年6月21日、98年5月14日、98年9月4日、99年5月25日、00年5月9日、
02年6月19日、03年6月10日、04年6月8日、06年6月27日、08年5月15日

福井県営球場の勝率は高くないが、面白い試合がいくつかある。
89年は勝ち投手キーオ、本塁打キーオ、勝利打点キーオというキーオの日
2000年はハートキーの1号本塁打が出た。
2004年は藪の完封勝利は福井だった。

国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省  http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/
制定 2006年
最終改訂:2009年3月1日

げんまつWEBタイガース歴史研究室