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<吉祥寺>
1980年代のヤングジャンプに、高見まこが「いとしのエリー」という漫画を連載していました。担任教師の枝里子に恋する主人公の晋平が、恋の病によって家出し、吉祥寺に住むのでした。
その時の会話で
「吉祥寺!」
「いいなー ジョージかぁ」
という会話が繰り広げられていた。そのせいで、私は昔から吉祥寺はすごくいい所だと思い込んでいます。
今回とりあげた三鷹球場は、三鷹駅からの方が近いわけですが、北吉祥寺に面している地区で、あこがれの吉祥寺なんだと言うわけ。吉祥寺で降りて関東バスで現地に向かうことにしました。
三鷹球場のあった武蔵野市役所近くに行くにあたり、五日市街道の市民文化会館前で下車し、そこからは500m歩いて行くことにしました。綺麗な街路樹が道路を覆うように茂り、その木陰の間にマンションが隠れ並んでいて、まさに「グリーンパーク」のイメージにぴったりです。
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1951年8月4日に試合を行った球場、東京スタジアム、愛称が武蔵野グリーンパーク。セリーグでは三鷹球場。パリーグでは武蔵野球場と呼ばれた。
セントラルリーグは12試合を開催し、国鉄スワローズの本拠地と言われたが、あまりにも短命に姿を消した伝説の球場。
当時、首都圏の野球場は事実上、後楽園しかなかった。1950年にセパ2リーグに分裂し一気に球団数が増えた事から首都圏は慢性的な球場不足に悩まされた。そんな折、戦闘機を製作していた中島飛行機の工場跡地に、中島飛行機の従業員らが集まって設立した会社が作り上げた野球場。
国鉄スワローズの本拠地を目指しただけあって、中央線の三鷹駅から中島飛行機引込み線の廃線を利用した武蔵野競技場線が新設され、東京駅から直通列車も出たほどでした。残念ながら都心から離れていることもあり経営難から廃止されました。
今思えば、所沢の西武球場よりも便利な気もしますが、なにしろ1950年代の話なので仕方ない。
現在は写真のように「武蔵野緑町パークタウン」という住宅になっている。
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パークタウンの入り口の公園には「グリーンパーク」と書かれています。マクドナルドはグリーンパーク店ですし、グリーンパークマンションなどと言うものもあります。
三鷹球場のタイガース戦は3試合でした。
1951年8月4日
タイガース7−1国鉄 ○内山 ●田原
1951年8月5日
タイガース1−2国鉄 ●藤村隆 ○金田
タイガース0−3松竹 ●駒田 ○大島
グラウンドは中堅が128mもあり、かなり大きかったようです。
「野球場辞典」の挿絵によると、土地の高低をうまく利用した構造になっていますが、なるほど住宅地を歩いてみると平坦な部分を囲むように土地が上下していて跡地であることがよくわかります。
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