筑豊のタイガース遠征史


1937年8月4日 オープン戦 伊田
 タイガース9−15名古屋 

1937年の夏季遠征で伊田という町に遠征している。福岡県田川郡伊田町の事。1943年に伊田町は合併して市制を引き、現在の田川市です。
昔は三井系の炭坑があり、炭坑節のふるさととしても知られる筑豊第三の都市です。
現在は1968年完成の田川市民球場がありますが、この当時はなく、伊田の古い球場が使われていたようです。この伊田球場ですが、私の調査によると(正確ではないかもしれません)田川市役所のそばのJR線の線路近くにありました。いつもどおり航空写真でそれらしき場所を探してみると、ありました。田川市立中央中学校の敷地が球場っぽい。この写真は田川市民球場が出来て間もない1974年の撮影なので、今よりも球場っぽい気がします。おそらくここだと、勝手に決めました。球場→学校というのは非常に多いパターンです。
この試合はルーキーの松広金一選手が本塁打を打った。この遠征では若手選手の底上げの合宿の意味合いを兼ねていたようで、若手の選手が多数起用されたようです。

1965年3月30日 オープン戦 飯塚球場
 タイガース3−4近鉄  敗 石川緑

1965年は近鉄と帯同し、オープン戦の後半で九州6箇所を遠征した。この時に飯塚球場に立ち寄っている。

1948年に完成した飯塚市営球場ではプロ野球の試合が4試合開催されました。


筑豊地区では2005年にホークスのウエスタンの試合が行われたようです。この時の公式記録は飯塚となっていますが、実際には飯塚市ではない筑豊緑地公園で試合が開催されたようです。
飯塚球場は近年はプロ野球に使用されていない。


国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省  http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

げんまつWEBタイガース歴史研究室