市川 国府台球場


JR市川駅から歩くと20分以上かかった。京成の国府台駅から歩いたほうが近いのだろうが、球場は丘の上にあるのだからバスを利用するべきだった。
野球場は和洋女子大学の正面にある市川スポーツセンターにある。
江戸を見下ろすこの高台にはかつて下総国国府が置かれていた。現在、球場のレフト外野側に下総国国府があった事を示す碑がある。国府があったので国府台(こうのだい)と呼ばれ、戦国時代には太田道灌によって国府台城が建てられた。
1950年3月31日開場でプロ野球の公式戦は7試合行われた。
わが大阪タイガースが国府台で試合を行ったのは
1950年5月7日 タイガース1−1西日本
タイガース干場 、パイレーツ緒方の投げあいで引き分けに終わった。

公式戦以外で知られていないのは、その秋の事。
初めての日本シリーズが行われている裏で阪神巨人が関東地区でオープン戦を3試合行っていた。
その中の11月26日が市川での試合。 タイガース5−4ジャイアンツでオープン試合も行っている。 オフシーズンながら12月になれば東西対抗が開催されるまだまだ野球真っ最中の時期に、タイガース梶岡と ジャイアンツ中尾の投げ合い。 藤村富美男のホームランと見所のたくさんの試合で、国府台のどの公式戦より盛り上がったとされる。
1950年の球場だけにかなり古い。
両翼91m 中堅122mと表示されているが、実際にはそうとう狭く感じる。右中間左中間が後楽園球場のように狭いからのようだ。

制定:2012年5月20日
撮影:2012年5月17日

参考文献:
 阪神タイガース発行 阪神タイガース昭和のあゆみ

げんまつWEBタイガース歴史研究室