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1940年8月「奈良でキャンプ中のタイガース」の写真が「ベースボールの社会史」のP249中に掲載されている。
若林忠志、カイザー田中、堀尾文人の3人が写っている。
1940年8月に奈良でキャンプを行っているはずはないのだ。1940年の7月26日〜8月31日までタイガースは満州遠征していたのだから。だから気になって仕方ない写真だった。球団出版の球団史はじめ当時の書物に1940年に一切奈良でキャンプを行ったと言う記録はない。しかし、半袖を着ているから夏だ。夏に堀尾がいるから1939年か1940年のどちらかだが、1939年は田中が病欠していたのでやはり1940年だという事が推定できる。
1940年9月6日から9月14日までまったく試合のない日程がある。
奈良ならば9月だろう。
しかし奈良のどこなのか。
奈良市ならば1913年に設立された奈良春日野球場というのがベースボールマガジン「野球場」に掲載されているのでここだと思われる。まずはそれを探すことにした。
掲示板に以下の書き込みを得た。
奈良の球場は進行街道北西の現在の芝生の広場あたり(春日野園地)にあったということです。
奈良市役所に尋ねた記憶があります。春日野球場と呼ばれていたようです。
これは野球場というよりグラウンドのようなものでラグビーなどもしていたようです。 |
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まずは古い航空写真で野球場らしき場所を探し当て、これが春日野園地と一致したので確信を得た。
実際に行ってみた。
春日野園地は近鉄奈良線の奈良駅から真っ直ぐ東に向かい歩き、東大寺の南大門の北側にある。
春日と言うので春日大社と間違いやすいが春日退社の近くの芝生広場は飛火野と言い野球が出来るような平地ではない。
東大寺の近くの芝生の広場が春日野園地だ。
南北に伸びる長方形の土地は野球場にしては広すぎるがラグビーなども行っていたらしいので納得できる。
やや勾配があり野球場としては北側の正方形部分しか使いにくい。
航空写真では北東の門に土のダイヤモンドがあるが、おそらくここが正規の野球場で、南東側のダイヤモンドは傾斜がきつくて野球には適さず第二球場とでも言う練習場だと思われる。
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写真を撮る上でいろいろ角度を試したのですが、山が写ったり建物が写ったり、木が低かったり。
そんな中でダイヤモンドのあったと思われる北側から撮影した写真がこれ。
近いと思います。
70年近い年月がたっているので厳密には一致しないようだが、空の感じが1940年の写真と似ている気がします。
奈良キャンプはここでやったのだと、勝手に納得しました。
どうやら1940年9月、奈良春日野球場でタイガースはキャンプを張っていたようです。
美しい芝生のグラウンドですが、大量の鹿の糞が転がっており、地面に腰を下ろすことは出来ませんでした。
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