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1950年10月17日
大阪タイガースは小見川にて広島カープと試合を行っている。
この日はタイガース、カープのほかスワローズとジャイアンツも遠征しており、小見川町営球場ではダブルヘッダー2試合が興行されたと言うわけだ。調べてみるとこの小見川は千葉県小見川町(現在は香取市の一部)で小見川町営球場にて試合が行われたという事がわかった。ところが、小見川町営球場というのがよくわからない。
現在の地図で調べてみると新しい軟式野球場があるが、ここではない。
その場所を1962年頃の航空写真で見てみると、古い野球場がある事がわかった。この野球場は現在は田んぼだ。ここが小見川町営野球場だ。
(航空写真は国土地理院撮影の空中写真 千葉1962年撮影) |
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小見川駅は千葉県とは言え、東京からJRの普通電車で2時間24分かかり、運賃は1890円かかる。単線。
ようやくたどり着いた小見川駅は普通のローカル線ののどかな駅だ。
1950年に完成した小見川球場は小見川中学跡地(住金団地)の横にあった事が確認できた。住金団地まで1.5kmほどをぶらぶら歩いて行く事とした。
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町を流れる黒部川の風景が美しい。小見川は江戸時代から城下町として栄え、利根川と黒部川が流れる街は国土庁『水の郷百選』に選ばれています。野球場は黒部川が東に向いて90度まがる所にあるので川に沿って歩いていった。すずめ焼・うなぎの佃煮・いぶき味噌なんかが名産らしく、そういう看板を途中いくつか見かけた。
静かな街で、ここに職業野球が来ればどんな大事件だったろうかと想像するもピンとこない。そもそもなぜ、小見川だったのか。それはどうも読売新聞の拡販が絡んでいるような感じだ。千葉県東部で野球の遠征試合を主催して読売新聞を拡販する。まあ、当時ならば当然の作戦だったのだろう。したがって、国鉄と広島に巨人と阪神の人気球団が参加しての4チームによる遠征だった。
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住金団地。
1966年に小見川中学校が統廃合され、中学跡地は1971年に創業を開始した住友金属鹿島製鉄所に勤務する人向けの住宅地に整備された。
野球場のあった場所にはなにもありませんでした。
黒部川を眺める景色は60年前と変わらないものだと思いました。
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