1937年の事、佐賀県大町町といえば杵島炭鉱の町。杵島炭坑グラウンドに名古屋軍と共に遠征したのが始めての佐賀での試合だ。
タイガース5−9名古屋
長崎出身の比留木の本塁打が出たものの名古屋に打ち負けた。球場は三塁側が昔の安芸市営球場のようにスタンドがない形、外野は石垣で囲まれているのが特徴。姿は変わったものの今でも大町駅前に残っています。現在は大町町民グラウンドとして町の行事などに使用されています。
佐賀出身の松尾五郎選手はタイガースを退団した後、戦後杵島炭坑に勤務しましたが、その野球部はこの球場でプレーしました。その後引退してからも炭鉱閉鎖後球場周辺に次々誘致された工場に勤務し、最後までこの球場周辺で生活していました。
(げんまつブログ訪問記)
|
|
1949年12月19日の九州遠征で祐徳国際グラウンドを使用した。新しく出来るセントラル野球連盟のPRをかねて巨人と帯同し下関・福岡・佐賀・佐世保・熊本をまわった。途中、福岡は平和台球場の球場開きだった。
祐徳国際グラウンド タイガース5−15読売
駒田の先発で田宮・藤村弟とつないだ試合だったが、ボコボコに打たれた。
祐徳は佐賀県鹿島市にある有名な祐徳稲荷神社の事で、写真の左手の山中にあります。写真中央縦に川が流れており、その右手の空き地のような場所に祐徳国際グラウンドがあったようです。一見山の中の不便な場所に作られた球場ですが、なんとこの球場では1952年に西鉄と阪急の公式戦が開催された事もありました。その後、いつ廃止になったかは定かではありません。 |
|
1965年3月28日のオープン戦は佐賀球場で行われた。
佐賀球場 タイガース3−0近鉄 勝 バッキー
1959年に完成した佐賀球場は佐賀の野球では長く使われた球場だったが、2004年に廃止され学校施設に売却された。佐賀市の中央付近にあり、航空写真を見てもわかるように住宅に囲まれていた。西鉄ライオンズがたびたび使用していて、球場閉鎖のオークションでは西鉄選手名の記載されたスコアボード用のボードが目玉商品として売却されていた。
現在、通称で佐賀球場と呼ばれている球場は みどりの森県営球場でダイエーやカープ戦などの公式戦が行われていますが、タイガースは今のところ使用していない。
(げんまつブログ)
|
|