皇子山球場と滋賀球場


滋賀県の中心として使用されている皇子山球場は1960年7月18日に完成した。
正式には皇子山総合運動公園野球場、住所は滋賀県大津市御陵町4-1
両翼91.5m、中堅118.5mの本格的な球場だったが、滋賀県のメイン球場でありながら一軍の公式戦に使用された事が一度もない変わった球場だ。タイガースもしばしばオープン戦や二軍戦を行っているものの、一軍公式戦には使用していない。滋賀での一軍の公式戦は大津市ではなく彦根球場を使用する事が多かった。

写真(2003年撮影)のようにバックスクリーン裏にはサブ球場があるほか、陸上競技場やテニスコートなどが併設された大きな運動公園にある。そもそも戦後まもなく米軍の駐屯地として使用されていた場所で、返還された時に運動公園として開発された。アクセスはJR湖西線の西大津(大津京)か京阪坂本線の皇子山駅だ。
2005年よりスタンドの建替え工事を行ない2006年には両翼100mの本格的な球場に生まれ変わった。

実は大津市でプロ野球の公式戦が行われた事がある。
ひとつは1947年9月29日に近江球場で行われた「阪急−南海戦」
もうひとつは1949年に県営滋賀球場で行われた「阪神−大陽戦」

阪神の試合記録を見ると
49.11.8 大津 阪神11−6大陽 ○藤村隆 藤村富42号43号  
滋賀新聞によると11月8日は滋賀球場開場式となっている。

近江球場の住所は近江神宮と同じ大津市錦織町だとわかったので、近江神宮へと出かけた。丘陵の近江神宮の中で唯一平坦な場所、近江神宮横の自動車学校は見事な扇形をしていました。
調べてみると近江神宮が廃止となった後の1963年に自動車学校が開設されたそうです。40年以上経ってるのに、球場時代の形状を維持しているので球場跡だと言うことが今でもよくわかります。

県営滋賀球場も住所は近江球場と同じ大津市錦織町だったので近江球場と同じものかと思われました。
大津市史第六巻によると
『47年9月に入江組が近江神宮内苑の空地に総工費60万円をかけて1700坪のグラウンドと収容人員1万人の観客席を持つ野球場を建設。近江球場と名付けられ〜』とある。
また『同球場は、49年新装されて公式野球場に認定され、県営となって名称も滋賀球場となり、11月8日、開場式が行われている』と記されています。
どうやら、近江球場は県下の中学に広がっていた女子ソフトボール用の球場として開設されたが、その当時に滋賀県下の野球場が彦根にしかなかったため硬式野球場に改装されたようです。したがって、見てみればわかるように両翼70m・中堅100m程度しか取れない小さな野球場だったと推定されます。
2006年に建替えられた新皇子山球場は両翼100m中堅122mの立派な野球場に生まれ変わりました。
2008年3月8日にはびわこ放送主催で阪神−西武のオープン戦が開催されました。
嘉田滋賀県知事の始球式にて始まった試合は、びわこ放送のスタッフが球場スタッフや売店スタッフとして働き、地元が支えるオープン戦という印象を受けました。
皇子山では時おりファームの試合も開催されますが、チケットが数週間前に必ず完売となります。必ずしも甲子園が近くない滋賀県の人達はそれだけ野球に飢えている。新しい球場でより多くの試合が開催される事を願います。

2005年7月制定
2007年6月改訂
2008年3月改訂 (新皇子山追加)

げんまつWEBタイガース歴史研究室