寺田野球場

1937年のタイガース夏季練習を行ったとされる幻の球場。


遠征から帰っても(夏の全国中学野球大会のため)甲子園は使用できないので、京都・三条小橋西入ルの秋田屋に合宿して、奈良電(現在の近鉄京都線)沿線の寺田球場に向かった。三条から京阪電車で丹波橋へ出て、ここで奈良電に乗り換え、寺田で下車して国鉄奈良線の踏み切りを超え、ゆるい山道を1kmほど東へ歩く。そんな不便な球場通いが1週間続いた。
阪神タイガース昭和のあゆみ P39 大阪タイガース球団史 P191

三条小橋に現在、秋田屋という旅館は現存していませんし、寺田球場も現存しません。いろいろ調査を進める中で場所が判明したので近鉄電車に乗って寺田に行って見ました。東に向かって城陽市役所の前を通りJRの踏み切りを渡って水度神社の参道(写真)に出た。この写真の左手の場所が寺田球場があった場所だ。


奥は水度神社参道 上り坂だ。
奈良電鉄は1928年に開通し、電鉄側の沿線開発のために1935年9月に土地1万坪を買収し寺田野球場を建設しました。
9月14日に球場開きとして中学野球の試合が3試合(伏見商や平安中など)開催されました。(9月15日京都日出新聞)
翌1936年7月には寺田ラグビー場も完成しました。
球場は航空写真の中央、現在の城陽中学の場所にありました。球場の場所に沿って道路が円形を描いていることでわかります。上側がラグビー場のあった場所だと思います。
野球場・ラグビー場は1943年10月、島津製作所に売却され、軍需工場の建設が始まりました。しかし、工場の建設を待たず敗戦を迎え、戦後は京都府の土地となり京都府立城南農工場や引揚者施設用地となり、その後城陽中学校や府営住宅となった。(城陽市史第二巻 919頁)

JR城陽駅の駅前ですが、JR城陽駅は1958年に開業したので寺田球場があった頃には存在しなかった。
従って近鉄・寺田駅から東へと坂道を上がってこなくてはならなかったわけです。航空写真では一番下になりますが、水度神社の参道を歩いて来たわけです。
8月15日から22日まで、寺田球場と西京極球場を利用しての合宿の成果で1937年の秋季はタイガースが初優勝しました。タイガース初優勝の影には寺田球場での猛特訓があったのです。

1987年航空写真

制定:2005年7月31日
改訂:2006年7月28日

城陽市観光協会にご協力いただきました。

げんまつWEBタイガース歴史研究室