1936年9月1日、1938年3月15日
少なくともこの二度、タイガースは豊川で名古屋軍とオープン戦を行っている。二度とも東京からの帰りに立ち寄るような形だった。
現在、あまり有名な球場がないこの地で、なぜオープン戦を行ったのか。
そもそも豊川ってどういう所だろう。当時のタイガースを調べる上でこの球場も明らかにする必要がある。
調べてみると、豊川稲荷球場と言う球場が昔あって、おそらくそこで試合を行ったと言うことがわかった。その球場が残っていると聞いたので、とりあえず見に行ってみようと思った。
豊橋から飯田線に乗ったら豊川に行ける。豊橋駅で飯田線のホームに行ったら、なんと一両だけの電車が泊まっていた。ドアは手で開けるらしい。しかも途中の駅では車掌が電車を降りて改札係をやっている。すごい。
完全に豊川をなめきって豊川に着きました。思ったより大きそうな町でした。狐がたくさんいます。豊川稲荷とは日本三大稲荷なのだそうで室町時代からあるすごい稲荷らしい。知らなかった。 |
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街並みを歩くと、古い時代を感じさせる門前町が続く。さすが三大稲荷だ。町の規模は創造していたより広く、しかも建物が古い。
これ、戦前の建物がたくさんあったのだとすると、なるほど。1936年当時から豊川の町は活気があって、その街に野球の興行にやってきたのだと、よくわかりました。「商売繁盛」の神として有名なので、野球の発展も期待しての興行だったのでしょう。現在、西宮戎神社に参っているのと同じ理由かも。
表参道門前町は、とにかく稲荷寿司屋と うなぎ屋が目立つ。うなぎを奮発してパワーをつけてから、球場探しに行くことにした。
どうせ豊川外苑球場なのだから豊川稲荷を一週回れば見つかる。でも、豊川稲荷って1周で1.5km近くあるのかな。広かったです。
最初に見つけたのは北西の稲荷公園で、なんとなく丸い形をした芝生広場がありました。「これか?」と思って、近所の人に聞いてみたら、それよりもう少し北と西に野球場があるらしい。西の球場は1953年に出来た豊川市民球場なので違うからすぐ近い北の球場だ。末広通という道路を渡ると、豊川高校の合宿所があり、その横に掃除の行き届いていないやや汚れた球場がありました。
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野球場は豊川高校の練習場らしい。関係者以外は立ち入り禁止なので、外からのぞいてみた。
スタンドは鉄筋コンクリート。非常に汚いものの1970〜80年代の建築と思える。妙嚴寺総合グラウンド・豊川地域文化広場 そういう施設と共にあった。妙嚴寺、すなわち豊川稲荷の土地です。実は豊川高校も豊川稲荷の経営なんですね。豊川稲荷外苑球場はここみたいです。でも、スタンドが新しいので違いますね。たぶん、後に建てられたもの。
と言うことで、ここで切り上げて家に帰って調べてみることにした。
航空写真で現地を撮影すると、確かに現在の球場は1977年〜1988年の間に建替えられたものだと解る。残念、当時の球場は現存していなかったのだ。土さえも黒土に入れ替えられていて、球場の周りに生えている木々だけは当時のままのようです。
ところで。この古いほうの球場だが、どうも陸上トラックを球場内に入れた古い甲子園球場のような形をしている。資料では中堅112.1mで両翼106.5m。おにぎり方の球場だ。レフトやライトだけが広い球場はたびたびありますが両翼の106.5mというのは昔の甲子園球場ぐらいしか匹敵するものはないかもしれません。豊川稲荷外苑球場は面白い球場です。 |
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