村山実の像


阪神尼崎駅から尼崎市の大動脈五合橋線を北上すると尼崎産業高校がある。ここは村山実氏の母校、村山実の在学中は住友工業高校だった。
この学校は、1916年財団法人住友私立職工養成所として大阪市港区に設立され、戦災により1946年に尼崎市の現在の場所に移った。住友工業学校・住友工業高等学校と名前を変えていたが、尼崎市立に移管されることをきっかけに、1956年に尼崎市立尼崎商業高校と合併し尼崎産業高等学校と名前を変えた。
ここから東側一体の産業道路と挿まれる領域はすべて住友金属工業の所有地。北隣には住友金属甲東寮がある。住友工業は工場で働く優秀な人材を育成するために住友財閥が作った職業学校が前身で、村山氏在学当時は卒業生のほとんどが住友系列の会社に就職した。
当時は中等部も同じ敷地に併設されており、村山氏は中学・高校を通して通学した。(中学は昭和中学分校となったが廃校になった)
村山実氏は住友工業時代に投手に転向し、フォークボールをマスターした。ザトペック投法の原型はここで作られました。

村山実像は等身大。
同校OBが中心となって作成した。総予算1000万円は全額寄付で集めた。彫刻家・抜水政人さんが約5カ月かけて粘土で原型をつくりあげた。04年8月15日に除幕式が行われた。

この銅像は高校敷地内にありますが、正門入ってすぐの場所にあるため、外からでも眺める事はできます。学校敷地内には部外者は入ってはいけないとの掲示があり躊躇しましたが、職員の方に問い合わせると銅像を見る程度はかまわないとの事でした。
銅像の向こうのグランドでは野球部の選手たちが汗を流していました。

2003年設定
2006年改訂

げんまつWEBタイガース歴史研究室