阪神乗合自動車として出発した自動車部門は順調とは言えなかった。 1954年経営不振のトラック部門は切り離され、乗客輸送部門は阪神タクシーに改組された。 トラック部門の中で廃棄物輸送で業績が安定していた京都支社のみを「阪神トラック梶vとして独立させ、その他のトラック部門は廃止させた。 1961年、モータリゼーションの波の中、阪神電鉄は一度は撤退したトラック部門を京都以外に拡大するために「新阪神トラック梶vを設立した。しかし、この会社も業績が伸びず1976年に解散した。 阪神直系のトラック会社は、まったく成功しなかったのだ。 現在、阪神グループの中核となっているトラック会社が「山陽自動車運送」 トラッキーのマークを車体につけたタイガー便で全国を網羅している。 1943年宍栗郡の自動車会社5社を統合し宍栗貨物自動車として創業、1950年より路線事業者に脱皮し、東京−大阪−広島の免許を得た。1955年頃より収益が悪化したため1962年に阪神電鉄が資本支援、阪神電鉄グループのトラック会社 現在、車両691両を保持する。 |