サンテレビと共に生きた喜び

1969年5月1日に開局したサンテレビは独立UHFのテレビ局です。延長戦まで完全中継し、野球中継を大きく改革した偉大なマスメディアです。


サンテレビボックス席と呼ばれる野球中継は、開局5日後の5月6日に放送した「阪神−広島」戦を皮切りに長年ファンの間で親しまれつづけてきました。
サンテレビの中継は 1.試合終了まで完全中継 2.阪神ひいき が柱です。しかし、何よりも視聴率に走らず、熟練したアナウンサーと解説者が落ち着いて試合を見守る、野球を見せる事に専念した中継スタイルが受け入れられています。阪神ファンは野球自体が好きなのです。
甲子園球場に行くと、必ず一塁横の駐車場に行って中継車を見ます。停まっているのがサンテレビ号(写真)だと幸せな気分に、よみうりテレビだと嫌な気分になります。
CS放送がメジャーになった今でこそ、プロ野球試合の完全中継は珍しくありません。
しかし、サンテレビは1970年代から、このスタイルを貫いているのです。読売は全国ネットかもしれないが、阪神ファンには最後まで見れるサンテレビがある。試合結果だけをみて喜んでいる読売ファンとは違うのだ、だから阪神ファンはすごいのだと、いつも心の支えにしていました。

2003年7月甲子園球場、サンテレビ中継車の後部扉に「胴上げまでM46」の文字を発見しました。(写真)サンテレビは、タイガースと共に歩み、タイガースと共に苦しんできた。成績不振で視聴率が低い時も、タイガースの完全中継を続けてきた。
心の底から優勝を喜んでいるからこそ、中継車にマジックが書けるのです。
私たちファンが優勝を目前にそわそわして、仕事にならないのと同じ気分を、サンテレビクルーは感じているのだと知りました。サンテレビに優勝試合を中継して欲しいと、心から思いました。

2003年のシーズン、優勝決定までの1週間はマジックがなかなか減らず、ずるずると9月15日になりました。これがサンテレビの中継の日でした。甲子園に帰ってくる事を待ち望む私たちと共に、サンテレビも待っていました。
数日前から甲子園に並び、この日も朝5時から球場入りした私は、8時開場から5時間後、バックネット裏中継席に湯浅アナと福本氏の姿を発見(写真)しました。外野から聞こえるわけがないですが「がんばれ!サンテレビ!」と、叫んでしまいました。
2003年9月15日 阪神タイガースは18年ぶりに優勝しました。

サンテレビは開局34年目にして、ついに優勝の実況放送を担当したのです。いや、開局以来2度しかなかった優勝の中継を引き当てた事を、ただの偶然だとは思いたくありません。サンテレビを熱烈に支持し続けている私たちにとっても、大きな喜びでした。
その晩、勢いで飲み歩いて完全に酔っぱらって帰宅した私は、船の上で中継していたサンテレビの優勝特番を見ているうちに、優勝の実感が湧き、涙を流した。その後、録画したビデオを見て朝を迎えました。

後日、いつものようにサンテレビの中継車を見に行くと、側面に 「おめでトラ」と書いてありました。私からもサンテレビクルーに「おめでトラ」と挨拶しました。
兵庫県に住んでいてよかった。

げんまつWEBタイガース歴史研究室