猛虎偉人伝1

初代巨人キラー 西村幸生 その4


西村幸生の生涯成績

年度 登板 完投 交代完了 当初 完封 無四球 勝利 敗戦 勝率 回数 安打 本塁打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責点 防御率
12春 19 6 0 12 1 0 9 3 .750 116.2 101 1 51 3 79 0 40 29 2.23
12秋 25 14 6 3 3 0 15 3 .833 182.1 131 2 76 3 103 1 46 30 1.48
13春 19 11 2 5 3 0 11 4 .733 129.1 111 2 66 1 65 3 41 22 1.52
13秋 20 9 4 6 0 0 9 2 .818 137.2 115 4 72 5 58 6 49 38 2.48
14 29 11 5 9 2 1 11 9 .550 167.1 139 4 72 1 89 1 60 45 2.41
112 51 17 35 9 1 55 21 .724 733.1 597 13 337 13 394 11 236 164 2.01

西村幸生の実働はわずか3年、5シーズンにすぎない。しかし、この期間にタイガースは2度優勝している。西村の防御率が1点台だった2期、12年秋と13年春だった。

西村幸生の引退

1シーズン性に変更された14年のシーズン、西村の調子はあきらかにそれまでの2年と変っていたそうだ。
もちろんそれだけではない。藤村・藤井ら5選手が兵役に出て、カイザー田中も病気を患い、ただでさえ勝てる戦力ではなかった。
この年の初勝利は3試合目のライオン戦、8月3日にライオン戦で完投勝利してから10月1日のセネターズ戦まで2ケ月勝てないこともあった。10月1日のセネターズ戦が最後の勝利だった。
最後の登板は11月12日後楽園、巨人キラーらしくこの年最後の巨人戦で登板し敗退したのだった。
巨人 101040000|6
阪神 000102001|4

相手投手はスタルヒン、西村は4.2回、打者24人に被安打6、失点6
5回、1点取られたところで、この日ヒットがなかった2年目の川上を満塁策で敬遠し、リベラ勝負としたが裏目。走者一掃のツーベースを打たれてノックアウトとなった。これが最後の登板だった。
年の暮れ、3年契約の契約が満了したところで、西村は即座に退団した。西村は肩を壊していたようだが、一本木な性格のため肩を壊しても投げ続けていたのだろうか。

退団後

満州電電のノンプロチームから好条件での勧誘があったようだ。妻や父親の反対を押し切り家族5人で満州に渡ったそうだ。しかし、寒い満州の新京はハワイ生まれの妻には合わず、1年で大連に転居。
そして昭和19年3月に召集令状が来て出征、昭和20年4月3日にフィリピン島バタンガスで戦死したのだった。

倉田山の伊勢市営球場に西村幸生の胸像がある。右上の写真がそうだが、桜の樹が覆いかぶさっている。春には桜の花が咲いて美しいそうだ。


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げんまつWEBタイガース歴史研究室