虎戦士が住んでいた町 甲子園七番町

2006年6月改訂


虎風荘の北隣に喫茶店「ニュー甲子園」がありました。タイガースファンの方々が集うカウンターに座ってドア越しに甲子園球場のツタを眺める事ができる、まさに天国のような店でした。
マスターの杣田登さんは初代虎風荘寮長でした。杣田さんは1950年に入団されて4年間の現役生活を過ごし、二軍マネージャーを経て虎風荘が新設された時に寮長に就任されました。その後この店でタイガースと甲子園を暖かく見守っておられました。
残念ながら2005年末をもってニュー甲子園は閉店となりました。楽しかった店がひとつなくなって寂しい気持ちです。
甲子園7番町を語る上で忘れられない下宿屋を紹介します。
住所は甲子園七番町20−23。
喫茶店「ニュー甲子園」の入っているビルの一番東奥に階段があります。この2階以上は賃貸マンションになっています。このビルは阪神の所有ですので、よき時代にはここにタイガースの選手が住んだ事があります。
このマンションに住んでいた有名な選手は、80年代中盤に太洋から移籍してきた投手野村収さんです。移籍が決まってから、球団(阪神不動産)の斡旋によってここに決めたそうですが、何より球場に近くて便利だったそうです。
野村収さんが住んでいたマンションの東隣に寿司屋があります。この寿司屋の入っている建物の2階・3階は6室の賃貸住宅になっています。
住所は甲子園七番町20−5
写真の左奥に写っているのが旧虎風荘、右奥が甲子園球場です。

このアパートに暮らしていたのが、85年日本一の時の2番センター弘田澄男さんでした。単身赴任でしたが、球場や合宿所にも近いので、寂しさも紛れた事でしょう。
阪神時代の若かりし加藤博一さんが住んでいた「甲子園マンション」は少し北側、夕立荘の向かいに健在です。

本サイトでは現在選手が住んでいる場所は当然の事ながらプライバシーに配慮して取り上げませんのでご了承ください。ここで扱ったアパートは、すでに選手が誰も住んでいない事を確認済みです。歴史あるアパートとして紹介しています。

この他にも、この近辺には選手が住んでいたいろいろなマンションやアパートがありましたが、地震前の建物は少しづつ減ってきています。例えば、山本和行さんが住んでいたマンション(アイビー)は既になく、大きなマンションの建て代わっています。

甲子園七番町と言えば、戦前戦後の名選手・故・藤村隆男さんの自宅(一戸建)は藤村さんが93年になくなった後も、そのままの形でご家族が住まわれています。(現在も住まわれているので写真や住所は掲載できません)
虎風荘の近くに住み、二軍コーチ時代、常に若トラ達と練習に励まれました。
今、このあたりに一戸建てを立てる選手はいませんので、なにやら歴史を感じてとてもうれしく思います。

甲子園八番町にある故・渡辺省三選手の渡辺ビルは健在です。

甲子園七番町、90年代までは多くの選手達が住み、新聞記者がうろうろし、近隣の店で酒を飲んだ街です。


げんまつWEBタイガース歴史研究室