これまでの活動で、かなりの選手についていろいろな情報を得る事が出来ましたが、1936年入団の佐藤栄一さんだけは相変わらずよくわかりませんでした。
解決済ですが記録として本ページをしばらくの間 残します。
1936年のタイガース選手の中で謎な選手がいた。
【佐藤栄一】
「阪神タイガース 昭和のあゆみ」の中で、36年の在籍選手として紹介されている。しかし、「大阪タイガース史」や「日本プロ野球60年史」などの本では名前を見つける事は出来ない。出身地・経歴・年齢不明。
なんとかして調べたいと思いました。
私と同じように調査している人がいます。
ALEXさんから、以前にメールを頂いた事が有ります。
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佐藤栄一
* 当時のスポーツ雑誌の入団時の集合写真に学生服で写っている。
* 当時の資料を色々調べたが結局プロフィールは不明。
* 佐藤以外にも身元不明の選手2名「岡本」「勝」も同じ写真に写っている。前者については判明したが、後者については不明。
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ここにある「岡本」は 別姓ですが菊矢吉男の弟です。菊矢が入団の条件として採用させたのですが、岡本は実力が認められずに練習生扱いで入団しています。岡本と勝は資料にも名前が有りません。佐藤栄一の場合、名簿に名前があるので練習生ではないのでしょう。
佐藤栄一の名前は 甲子園大会(本大会)の記録、都市対抗野球の記録で見つける事ができません。甲子園には出場していないものと思われます。
1936年入団選手の経歴は下の表のようになります。
選手名 | 守備 | 出身 | 経歴 | 春の甲子園 | 夏の甲子園 |
若林忠志 | 投手 | 米国 | 本牧中→法政大→川崎コロムビア | ||
松木謙治郎 | 内野手 | 福井 | 敦賀商→明治大→大連実業団 | 25・26 | |
小川年安 | 捕手 | 広島 | 広陵中→慶応大 | 27・28・29 | 27・28 |
平桝敏男 | 外野手 | 広島 | 広陵中→慶応大 | 29 | |
小島利男 | 内野手 | 愛知 | 愛知商→早稲田大→三菱貝島炭坑 | 28・29・30 | 28・30 |
古川正男 | 投手 | 米国 | マッキンレー高→ハワイ大→明治大 | ||
景浦将 | 投手 | 愛媛 | 松山商→立教大 | 31・32 | 31・32 |
菊矢吉男 | 投手 | 大阪 | 八尾中 | 32 | 32 |
御園生崇男 | 投手 | 山口 | 山口中→関西大 | 33 | |
伊藤茂 | 外野手 | 愛知 | 享栄商 | 33・34 | 34 |
山口政信 | 外野手 | 大阪 | 日新商 | 34・35 | 35 |
藤村富美男 | 投手 | 広島 | 呉港中 | 33・34 | 32・33・34・35 |
佐藤武夫 | 捕手 | 愛知 | 岡崎中 | ||
滝野通則 | 内野手 | 愛知 | 享栄商 | 33・34 | 34 |
藤井勇 | 外野手 | 鳥取 | 鳥取一 | 33 | 33・34 |
村田重治 | 投手 | 東京 | 京橋商→東京市役所 | ||
岡田崇芳 | 内野手 | 広島 | 広陵中 | 35 | |
伊賀上良平 | 内野手 | 愛媛 | 松山商 | 35 | 35 |
加藤信夫 | 内野手 | 愛知 | 中京商→専修大 | 33・34 | 33 |
門前真佐人 | 捕手 | 広島 | 広陵中 | 35 | |
渡辺一夫 | 投手 | 山口 | 山口中 | 33 | |
佐藤栄一 | 内野手 | ? | ? |
初期の大阪タイガースの特徴として「甲子園出場選手を集める」という特色が有ります。佐藤栄一を除いて36年入団組は21人中17人、37年入団組は13人中9人が甲子園大会に出場しています。
初期の2年間で甲子園に出場していない8人の選手は 若林忠志・古川正男・佐藤武夫・村田重治・西村幸生・橋本正吾・上田正・田中義雄となります。
若林は六大学・都市対抗で有名な選手で、他球団との争奪戦が起こった有名選手で、電鉄と球団の総力を挙げて獲得しました。その若林が勧誘した選手は古川・村田・田中、彼らは甲子園に出場していません。
36年メンバーで甲子園に出場していない上、若林に関係のない選手は佐藤武夫がいます。佐藤武夫は岡崎中学で4番を打った選手で、愛知県予選で準優勝していますから、中学球界では有名な選手でした。
37年の西村は関西大学のエースなので田中常務の後輩、橋本は呉港中学ならば藤村マネージャー、上田正は石本監督の縁で入団しています。
大きくスカウト活動をしていなかった時代だと思われるので、阪神のお膝元の甲子園大会に出場しなければ、
1.東京六大学でプレーするなどのスター選手
2.中学野球の有名選手
3.選手か関係者の線で採用
のいずれかの線でなければ、タイガースに縁があるとは思えません。
このうち、佐藤栄一は1と2でもないので、在籍する関係者による採用だと予想します。
佐藤という苗字は全国に多数いますので、名前では推測できません。おそらく同姓同名も多い。
菊矢は12月2日に大阪タイガースと入団契約締結し、「岡本」も同時期に契約していると思われます。
ALEXさんの写真の撮影時期はよく解かりませんが、同時期に契約している事となるので入団は35年12月だと思われます。学生服を着用していたならば、1935年当時は中学か大学に在籍していたのでしょう。
1月下旬までに早期に退団(もしくは出場できない状況になった)と思われます
・職業野球連盟の資料には名前がなく、タイガースの球団資料にのみ名前がある。
・松木謙治郎の著書には現れないので、松木謙治郎とは直接関係ない上に、記憶に残る付き合いもしていない。
・内野手不足の話で滝野の契約破棄はよく話題に上がるが、内野手の佐藤栄一は話題にもならない。
関係者の線として考えられるのは
田中常務と中川マネージャーが得意なのは関西の大学と関西・中国地方の中学生。おそらく若林の関係は薄いと考えられますし、選手の血縁や後輩ならば、4月以降まで在籍しているはず。
あとはしらみつぶしに調べるしかないようだ。
なにもわからないまま時が流れた2012年3月18日、突然メールをいただきました。
突然のメール失礼致します。 佐藤栄一は私の父です。 父は甲子園の出場経験はなく、若林さんと遠戚関係にあり 当時短距離の選手だったので足を買われての入団だったのではと 思われます。 1918年東京都出身 府立第三商業卒業 平成8年 79歳で他界致しました。 〜後略〜 |
1938年に入隊される際、タイガース選手全員がサインした日の丸の写真を添付いただきました。
これにて解決いたしました。
後日、都立第三商業の線からもう少し調べてみたいと思います。