佐藤栄一調査局   〜2012年解決しました〜

これまでの活動で、かなりの選手についていろいろな情報を得る事が出来ましたが、1936年入団の佐藤栄一さんだけは相変わらずよくわかりませんでした。

解決済ですが記録として本ページをしばらくの間 残します。


背景

1936年のタイガース選手の中で謎な選手がいた。
【佐藤栄一】
「阪神タイガース 昭和のあゆみ」の中で、36年の在籍選手として紹介されている。しかし、「大阪タイガース史」や「日本プロ野球60年史」などの本では名前を見つける事は出来ない。出身地・経歴・年齢不明。
なんとかして調べたいと思いました。

ALEXさん情報

私と同じように調査している人がいます。
ALEXさんから、以前にメールを頂いた事が有ります。
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佐藤栄一
* 当時のスポーツ雑誌の入団時の集合写真に学生服で写っている。
* 当時の資料を色々調べたが結局プロフィールは不明。
* 佐藤以外にも身元不明の選手2名「岡本」「勝」も同じ写真に写っている。前者については判明したが、後者については不明。
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ここにある「岡本」は 別姓ですが菊矢吉男の弟です。菊矢が入団の条件として採用させたのですが、岡本は実力が認められずに練習生扱いで入団しています。岡本と勝は資料にも名前が有りません。佐藤栄一の場合、名簿に名前があるので練習生ではないのでしょう。

甲子園には出場していない

佐藤栄一の名前は 甲子園大会(本大会)の記録、都市対抗野球の記録で見つける事ができません。甲子園には出場していないものと思われます。
1936年入団選手の経歴は下の表のようになります。

選手名 守備 出身 経歴 春の甲子園 夏の甲子園
若林忠志 投手 米国 本牧中→法政大→川崎コロムビア
松木謙治郎 内野手 福井 敦賀商→明治大→大連実業団 25・26
小川年安 捕手 広島 広陵中→慶応大 27・28・29 27・28
平桝敏男 外野手 広島 広陵中→慶応大 29
小島利男 内野手 愛知 愛知商→早稲田大→三菱貝島炭坑 28・29・30 28・30
古川正男 投手 米国 マッキンレー高→ハワイ大→明治大
景浦将 投手 愛媛 松山商→立教大 31・32 31・32
菊矢吉男 投手 大阪 八尾中 32 32
御園生崇男 投手 山口 山口中→関西大 33
伊藤茂 外野手 愛知 享栄商 33・34 34
山口政信 外野手 大阪 日新商 34・35 35
藤村富美男 投手 広島 呉港中 33・34 32・33・34・35
佐藤武夫 捕手 愛知 岡崎中
滝野通則 内野手 愛知 享栄商 33・34 34
藤井勇 外野手 鳥取 鳥取一 33 33・34
村田重治 投手 東京 京橋商→東京市役所
岡田崇芳 内野手 広島 広陵中 35
伊賀上良平 内野手 愛媛 松山商 35 35
加藤信夫 内野手 愛知 中京商→専修大 33・34 33
門前真佐人 捕手 広島 広陵中 35
渡辺一夫 投手 山口 山口中 33
佐藤栄一 内野手

初期の大阪タイガースの特徴として「甲子園出場選手を集める」という特色が有ります。佐藤栄一を除いて36年入団組は21人中17人、37年入団組は13人中9人が甲子園大会に出場しています。

初期の2年間で甲子園に出場していない8人の選手は 若林忠志・古川正男・佐藤武夫・村田重治・西村幸生・橋本正吾・上田正・田中義雄となります。
若林は六大学・都市対抗で有名な選手で、他球団との争奪戦が起こった有名選手で、電鉄と球団の総力を挙げて獲得しました。その若林が勧誘した選手は古川・村田・田中、彼らは甲子園に出場していません。
36年メンバーで甲子園に出場していない上、若林に関係のない選手は佐藤武夫がいます。佐藤武夫は岡崎中学で4番を打った選手で、愛知県予選で準優勝していますから、中学球界では有名な選手でした。
37年の西村は関西大学のエースなので田中常務の後輩、橋本は呉港中学ならば藤村マネージャー、上田正は石本監督の縁で入団しています。

大きくスカウト活動をしていなかった時代だと思われるので、阪神のお膝元の甲子園大会に出場しなければ、
1.東京六大学でプレーするなどのスター選手
2.中学野球の有名選手
3.選手か関係者の線で採用
のいずれかの線でなければ、タイガースに縁があるとは思えません。
このうち、佐藤栄一は1と2でもないので、在籍する関係者による採用だと予想します。

推定

佐藤という苗字は全国に多数いますので、名前では推測できません。おそらく同姓同名も多い。

菊矢は12月2日に大阪タイガースと入団契約締結し、「岡本」も同時期に契約していると思われます。
ALEXさんの写真の撮影時期はよく解かりませんが、同時期に契約している事となるので入団は35年12月だと思われます。学生服を着用していたならば、1935年当時は中学か大学に在籍していたのでしょう。

1月下旬までに早期に退団(もしくは出場できない状況になった)と思われます
・職業野球連盟の資料には名前がなく、タイガースの球団資料にのみ名前がある。
・松木謙治郎の著書には現れないので、松木謙治郎とは直接関係ない上に、記憶に残る付き合いもしていない。
・内野手不足の話で滝野の契約破棄はよく話題に上がるが、内野手の佐藤栄一は話題にもならない。

関係者の線として考えられるのは
田中常務と中川マネージャーが得意なのは関西の大学と関西・中国地方の中学生。おそらく若林の関係は薄いと考えられますし、選手の血縁や後輩ならば、4月以降まで在籍しているはず。
あとはしらみつぶしに調べるしかないようだ。

解決 いただいたメール

なにもわからないまま時が流れた2012年3月18日、突然メールをいただきました。

突然のメール失礼致します。
佐藤栄一は私の父です。

父は甲子園の出場経験はなく、若林さんと遠戚関係にあり
当時短距離の選手だったので足を買われての入団だったのではと
思われます。

1918年東京都出身 府立第三商業卒業
平成8年 79歳で他界致しました。

〜後略〜

1938年に入隊される際、タイガース選手全員がサインした日の丸の写真を添付いただきました。

これにて解決いたしました。
後日、都立第三商業の線からもう少し調べてみたいと思います。


げんまつWEBタイガース歴史研究室