現役時代は南海ホークスでベストナイン2度 3年連続オールスター出場。
「Thinking Baseball」を掲げたアメリカ人監督、田淵をトレードに出した印象が強すぎるが、考えるプレーを中心選手にもたらした効果は85年の優勝と無縁ではない。「ヒルトン事件」以降球団に不信感を持ち退団。
1932.3.16生
出身地 アメリカ ミシシッピ州コリンズ
出身校 リプスコム大学
二塁手 右投左打
55年 カージナルスで大リーグ昇格 レッズ セネターズ アスレチックスあわせて12年活躍
67年〜69年 南海ホークス 1番セカンド 3年連続オールスター(67,68年はファン投票選出)
70年〜77年 南海コーチ
78年 広島ヘッドコーチ 11月4日阪神と契約
79年 阪神タイガース監督 背番号80
80年 監督 ヒルトン解雇に伴い小津社長と衝突し5月15日退団
81年〜82年 南海ホークス監督
南海ホークス駐米スカウト
マイナー球団のコーチ フィリーズのアドバイザー
05年 4月13日 米アリゾナ州ファンテンヒルの自宅で心臓まひのため死去
実動3年 出場366試合 打数1356 安打371 本塁打15 打点86 盗塁13 犠打33 三振104 打率.274
監督通算4年 采配416試合 勝利180 敗戦208 引分28 勝率.464