青木正一 あおき・しょういち
早川渉外−稲川桐生監督のラインで夏の甲子園大会前に翌年の入団契約を終えた。
打倒沢村に燃えるチームの打撃投手となり、打撃投手として30cm手前から投げた話は有名。プロでの実績は中学卒後の3年間しかなく、これからと言う時に軍隊へ行った。
1917.8.10生
出身地 栃木県足利郡葉鹿町
出身校 桐生中学
投手 右投右打
33年 春の甲子園は捕手
34年 夏甲子園出場
35年 夏甲子園出場
36年 春夏甲子園出場 選抜準優勝 エースで4番 内野に皆川定之がいた。 36年6月に入団契約する。
37年春 大阪タイガース 背番号28番 3試合 1勝 0敗 3.60
37年秋 3試合 0勝 1敗 3.60
38年春 4試合 2.57
38年秋 開幕投手 4試合 1勝 1敗 3.13
39年 10試合 2勝 1.50 応召する
46年〜47年 全桐生で2年連続都市対抗出場 一塁を守った
50年〜 高崎理研
54年 高崎鉄道管理局の補強選手として都市対抗出場
全足利でコーチ・監督に就任[1]
2004年9月 他界
実働3年 登板24試合 勝利4 敗戦2 完投4 完封1 投球回91.2 奪三振27 防御率2.55
[1]犬さんに全足利の情報を頂きました
げんまつWEBタイガース歴史研究室
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