高田社長が現場の意向を無視して独断で獲得を決めた大物外人。柔らかい打撃フォームで期待されたが、外角のスライダーにあまりにも弱かった。
彼が不振だった事が、この後野村監督が3年間連続して最下位となる原因となった。年齢的にも限界であったかもしれない。 打撃不振でシーズン中解雇。
1965.4.24生
出身地 西ドイツ ビュルツブルク (アメリカ ワシントン州育ち)
出身校 ベッセル高校 タコマ短大 ワシントン大学
三塁手 右投右打
84年 1月 マリナーズ ドラフト6位拒否
86年 エクスポス ドラフト10位で入団
89年 ヤンキース 9月メジャ−初昇格
92年 マリナーズ
96年 ドジャース
97年 マリナーズ
98年 アスレチックス 99年1月 エンゼルスの本多達也氏の紹介、龍野の歯科医師の斡旋でタイガース入団
99年 阪神タイガース 背番号61
00年 シアトル・マリナーズ (メジャー昇格なし)
引退後シアトルマリナーズラジオコメンテーター
実働1年 出場73試合 打数259 安打65 本塁打10 打点43 打率.251