朝鮮生まれ。日本占領下で日本国民だった。
38年都市対抗代表選手として日本本土で投球し、剛球が話題となってその時に入団した。直球カーブともコントロールがよかったが、西村幸生ら投手陣が調子よく、登板機会に恵まれなかった。
1911生
出身地 朝鮮
出身校 平壌高晋
ノンプロ 全京城
投手 右投右打
明治大 朝鮮遠征で登板し7回までノーヒットノーランで抑えた。
38年 都市対抗出場 エースだったが徳島の方が投球イニングは多かった
38年秋 大阪タイガース 背番号20 主に打撃投手
39年 2試合登板 0勝1敗 1.00 8月12日金鯱戦プロ初登板は先発で打線の援護なく敗戦投手
40年 帰朝鮮
戦後は北朝鮮に住む
オール韓国の朴賢植氏が実弟
実働1年 登板2試合 勝利0 敗戦1 投球回8.1 奪三振2 防御率1.00