本間 勝   ほんま・まさる

12球団の争奪戦の末入団。
初勝利は巨人戦で同年に13勝 武器は切れの良いストレートとシュート  60年まではとんとん拍子に実力をつけたが、62年頃から変化球主体の組み立てに頼り、伸び悩みと言われるようになった。右肩痛にも悩まされた。
王貞治に強く打率1割台に抑えていたが、初めて打たれた本塁打が1試合4本の記録の4本目だった。王を通算.149に抑えたのは50打席以上では江本に次ぐ2位の低さであった。後に阪神広報として活躍。


1939.5.1生
出身地  愛知県岡崎市矢作町
出身校  中京商業
投手 右投右打

56年 選抜甲子園では控え投手  一塁に星山晋徳
57年 3年次は小川敏明(中日-大洋)とバッテリーを組む 11月8日タイガース入団発表

58年 大阪タイガース 背番号14 3試合登板 3.00
59年 2試合登板 2.25
60年 47試合 13勝8敗 2.78 5月15日巨人戦で初勝利
61年 41試合 8勝13敗 3.48
62年 12試合 0勝2敗 4.05
63年 背番号45に変更 38試合 5勝8敗 2.51
64年 29試合 1勝3敗 2.54 王貞治四打席連続本塁打の4本目を献上する。
65年 13試合 1勝2敗 2.00 安部と交換トレードで西鉄へ移籍

66年〜67年 西鉄ライオンズ 31試合 0勝2敗

68年〜 西日本新聞社大阪支社勤務
82年〜 阪神フロント入り 広報を担当 (1月13日付)  後に広報部長
02年 12月27日付け退職

CALPISこどもの日野球教室講師(04年・徳島 05年・兵庫)

実働10年 登板216試合 勝利28 敗戦38敗 完投16 奪三振377 投球回693.1 防御率2.86


げんまつWEBタイガース歴史研究室