投手不足の時代、広島のノンプロで投げていた石風呂投手を入団させて明石球場の試合で即登板させた。
結果は散々で自身のエラーなどから無視満塁として降板、急遽若林監督がリリーフした。これが後に若林監督退団につながるエピソードとなった。
石風呂は温厚な人柄だったため、松木監督が退団後の就職の世話をした。
1923.6.27生
出身地 広島県
出身校 広島県立忠海中学校
ノンプロ 広島の運送会社(チーム名不明)
投手 右投右打
49年 11月 大阪タイガースに入団
49年 背番号34 入団後即先発登板で無死満塁から押出し四球
50年 背番号32に変更 年末退団
大同鉄器東京支社勤務
実働1年 登板1試合 勝利0 敗戦1 投球回0 与四球2 奪三振0 自責点4 防御率∞