菊矢吉男    きくや・よしお

八尾中学に剛球投手菊矢ありと言われたほどの有名投手。
仮想沢村の打撃投手として投げたが、コントロールが悪くて打者は恐ろしかったという。岡本という姓の弟がおり、タイガース入団の条件として練習生として岡本を入団させた。が、岡本には素質はなかったという。岡本を解雇するにあたり菊矢も解雇、ライオンでは主戦級の登板で東西対抗に3年連続出場した。
戦後、高校野球監督として甲子園に出場した。


1915.8.31生
出身地  大阪府
出身校  八尾中学 (関西大学?)
外野手→投手  右投げ右打ち

32年 春夏甲子園に右翼手として出場
34年 大阪府大会準々決勝の天王寺師範戦でノーヒットノーランを記録
35年 12月2日 大阪タイガースと入団契約締結

36年 大阪タイガース 背番号14 外野手  秋季に投手転向 6試合 1勝0敗 1.80
37年春 12試合 6勝2敗 4.15 春季リーグ終了後、ライオンに移籍

37年秋〜41年 ライオン軍
    37年38年39年東西対抗出場  39年16勝21敗 40年9回2死まで無安打無得点

41年〜43年 従軍

44年 朝日軍に復帰
46年 ゴールドスター(戦後の田村駒からの分離騒動に関与)  同年プロ引退

47年〜52年 菊水中学・菊水高校 監督 (52年に廃校 藤井寺球場の横にあった)
53年〜72年 富田林高校監督 59年春甲子園出場

投手 実働7年 登板210試合 勝利60 敗戦91 完投99 投球回1316.1 奪三振613 四球837 暴投41 防御率2.13
打撃 実働8年 出場343試合 打数888 安打189 本塁打7 打点106 盗塁3 打率.213


げんまつWEBタイガース歴史研究室