特別テストでコントロールのよさから打撃投手に使おうと合格した大投手。当時5000円の給料は球団女子事務員の8000円より安かった。通算320勝、74完封勝利とプロ野球界を代表する投手だ。そのコントロールのよさは「針の穴を通すコントロール」を持つと例えられた。
最高勝率1回、最多勝利1回(東京時代)、最多奪三振1回、沢村賞1回
1934.7.28生
出身地 兵庫県明石市二見町
出身校 高砂高校
投手 右投右打
高校時代は無名 書道教師の父が達筆で球団社長相手にテストを受けさせるよう直訴
特別に阪神のテストを受けるが合否の連絡がない、仕方なく洋松のテストを受けて落ちた。その後阪神から合格通知
53年 大阪タイガース 背番号49 16試合 5勝1敗 8月26日初登板
54年 背番号6に変更 40試合 11勝7敗 開幕投手
55年 27試合 7勝4敗
56年 59試合 17勝13敗 開幕投手 オールスター辞退
57年 背番号14に変更 52試合 15勝17敗 オールスター出場
58年 背番号47に変更 53試合 24勝12敗 オールスター出場
59年 52試合 20勝16敗 開幕投手 オールスター出場
60年 60試合 25勝19敗 奪三振273 オールスター出場
61年 46試合 11勝22敗 開幕投手
62年 47試合 27勝11敗 開幕投手 勝率1位 最多奪三振270 沢村賞 オールスター出場
63年 34試合 14勝14敗 開幕投手 オールスター出場 山内と交換で東京オリオンズへ移籍(世紀のトレード)
64年〜72年 東京・ロッテオリオンズ
73年 大洋ホエールズ 現役引退
74年 阪神タイガース背番号71 投手コーチ
75年 投手コーチ
76年〜81年 朝日放送解説者
82年 阪神タイガース背番号81 一軍投手コーチ
83年 一軍投手コーチ 契約はまだあと1年あったが辞任
84年〜89年 朝日放送解説者
90年〜91年 西武コーチ
92年 サンテレビ解説者
93年〜94年 ダイエーコーチ
95年〜97年 サンテレビ解説者
98年 阪神タイガース背番号81 一軍投手コーチ
99年〜サンテレビ解説者
01年 殿堂入り
打撃実働21年 出場869試合 打数1555 安打244 本塁打9 打点76 盗塁1 打率.157
投球実働21年 登板856試合 勝利320 敗戦232 完投290 完封勝利74 投球回数4899 奪三振3159 防御率2.45