大連時代から打倒沢村に執念を燃やし、タイガースに入団した。初代主将 2冠王 「空前の1番打者」
腕相撲はチーム1強く、1kgを越えるバットで広角打法。 堂々と打席に向かう姿から、歌舞伎の悪役「仁本弾正」と呼ばれた。
酒豪。三代目(兼任)および五代目監督。
1909.1.22生
出身地 福井県敦賀市
出身校 敦賀商業 明治大学
ノンプロ 名古屋鉄道 大連実業団
一塁手 左投左打
敦賀商業では英語科 校内野球大会の投手として優勝し野球部入り 1年からレギュラー
25年 甲子園初出場のメンバー
26年 甲子園出場
27年 明大進学 1年からレギュラ
33年 名古屋市で都市対抗出場
34年 満州に渡って大連実業団
35年 11月6日 大阪タイガースと契約
36年 大阪タイガース 背番号9 初代主将 41試合 1本 27打点 .224
優勝決定戦には右膝負傷で欠場
37年春 主将 56試合 本塁打王4本 28打点 首位打者.338
37年秋 主将 44試合 3本 34打点 .250 東西対抗に出場
38年春 主将 34試合 3本 27打点 .262
38年秋 主将 37試合 4本 22打点 .274 東西対抗に出場
39年 助監督兼務 93試合 1本 41打点 .286 東西対抗に出場
40年 兼任監督 背番号30 98試合 2本 32打点 .236 東西対抗に出場
41年 兼任監督 65試合 13打点 .219 軍需工場に勤務し、オフ退団
45年 応召 二等兵 沖縄戦で負傷 石川収容所に入れられる
戦後大同製鋼勤務 のちに実家の鉄工所(松木工業)の社長となる。
49年 12月 毎日事件で監督不在のタイガースに兼任監督で復帰
50年 背番号9 10試合 1打点 .273
51年 背番号30に変更 1試合 .000 現役引退
52年 監督
53年 監督
54年 監督 松木自身と藤村が退場になった大阪球場事件の責任を感じ、退団
55年 大映スターズ コーチ
56年〜57年 大映スターズ 監督
58年〜60年 東映フライヤーズ コーチ
61年〜68年 NHK解説者
69年〜71年 東映フライヤーズ 監督
78年 殿堂入り
タイガースOB会長就任
86年 2月21日逝去
実働8年 出場479試合 打数1706 安打448 本塁打18 打点224 盗塁94 犠打12 犠飛7 三振128 打率.263
監督通算11年 試合1263 勝利628 敗戦602 引分25 勝率.511