西村一孔の影になったもう一人の即戦力投手。1955年、岸監督・御園生コーチ含む一軍の集合写真 29人の中にも写っていますので戦力として期待されていたのでしょうが、外角スライダーと内角シュートのクセ球を持つ実戦派。
甲子園球場のタイガース記念館に、西村一孔投手とのツーショット写真パネルが展示されています。
1932.4.26生
出身地 鳥取県境港町
出身校 境高校
ノンプロ 米子鉄道管理局 協和発酵
投手 右投右打
48年 境高校に拝藤兄弟の兄、拝藤聖雄(近鉄)と同期で入学
49年 夏の県予選に優勝したが、倉敷工(小沢・藤沢)に敗れて甲子園に出場ならず
51年 拝藤聖雄と共に米子鉄道管理局に進む
54年 協和発酵野球部創生期に参加
55年 大阪タイガース 背番号32 登板なし
会社員
97年 癌のため逝去
実働なし
御子息の方より情報を頂きました。